ミケランジェロに託した法皇の思い・古代遺跡の教会 Santa Maria degli Angeli in Rome



ローマ、テルミニ駅の北側に298~306年に掛けて公共浴場として造られたディオクレティアヌス浴場という古代遺跡がありますが、中世にその一部を改築して建立されたのが、このサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会Basilica di Santa Maria degli Angeliです。

教会はただ単に改修されたものではなく、一説にはディオクレティアヌス浴場の建設時に動員された古代の殉教者たちに捧げるために建立されたとも伝えられます。

教会は教皇ピウス4世の命により、1561年、ミケランジェロの設計で工事が始められますが、主要部分を終了したその後、1564年にミケランジェロは76歳の生涯を終えます。もちろん、教会全体はまだ未完。工事途中にしての天国への旅立ちでしたが、その後、ケランジェロを師と仰ぐジャコモ・デル・ドゥーカ、チャペルニコラスなど3人の建築家により工事は継続され、その後も多くの芸術家たちの手を経て、着工から100年以上も経過した1700年代に入ってようやく完成を見ます。

写真の翼廊は、ミケランジェロが生前、1563年から手掛けていましたが完成は1566年。ミケランジェロは完成を見ずに天国へ旅立ちますが、ここは教会の中でもっとも重要な部分として知られます。それは古代にディオクレティアヌス帝の浴場のもっとも重要な役目を果たしていた浴場の主役“サウナ=フリギダリウム”がここに在ったからでした。

床暖房システムの一種であるハイポコーストで熱した高温多湿の部屋“テピダリウム”を一角に造り、入浴者はまずは“テピダリウム”に入るように導かれます。そこは床や壁に接する部分から人体に熱がほどよく伝わることを特徴とした蒸し風呂。入った瞬間から汗が流れ落ち、汚れもいつしか汗と共に消えてゆくのです。その後、大きな冷水のプールがある部屋“フリギダリウム”へ移り、冷たい水に入ることで汗腺を閉じる、という、当時にして既にサウナのシステムそのものがここに存在していたのです。

温浴室と周辺の大広間のいくつかを合わせて改造したミケランジェロの設計のこの翼廊には、古代のその頃を彷彿させるものは、一見してありませんが、天井の高さと広さだけは当時のままにあり、浴場の雄大さを思い起こさせます。

また、高価な赤い大理石をふんだんに使った豪華さがこの教会の特徴とされていますが、豪華さだけではなく、ミケランジェロが意図とした重厚さと荘厳さ、格調高さが加わり、ミケランジェロならではの気品ある佇まいを見せています。

そして、いくつかある礼拝堂を飾る祭壇画は、サン・ピエトロ大聖堂からもたらされたもので、そのことからこの教会がローマにとって如何に重要な存在であるかをうかがい知ることができます。

堂内には詩人であり彫刻家であったサルヴァトール·ローザ、政治家のアルマンド·ディアス 、 ヴィットリオ·エマヌエーレオーランド、教皇ピウス4世など多くの著名人が埋葬されています。近年では映画監督フェデリコ・フェリーニ氏の国葬が行われ、悲しみのセレモニーとして人々の注目を集めました。また、王家や王族、貴族たちの結婚式も執り行われ、国内でも数少ない格式ある教会であることを内外に知られます。

教皇ピウス4世が多忙を極めたミケランジェロになぜこの教会の設計と工事を依頼したのか。それは偉大なるローマ帝国を建設した古代人たちに敬意を表し、ここを彼らの功績を称え祀る場所とし、王族と貴族、そして、高位に就くローマ法皇直属のものとしたかったからと思います。それにはただ単に浴場を改造するのではなく、気品と重厚さ、格調高さを必要としました。それは天才ミケランジェロ以外にはなし得ない仕事だったから。ですから教皇ピウス4世は彼にすべてを委託し着工させたのだろうと思います。

そして、ミケランジェロはその意図をしっかり身の内に消化し、天国へ召される前に重要部分を完成させ、後の工事分もきっちり設計に遺して逝きました。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)