ローマの下町の一角、古代遺跡パンテオンを前にして広がるロトンダ広場は、1431年に当時の教皇エウゲニウスIV の命で着工し、1439年に完成したという、長い歴史を誇ります。ちなみに日本は室町時代の足利義満の頃、1443年には足利義政が8代将軍となっています。
パンテオンが円堂=ロトンダであることから命名されたこの広場は、南に約60メートル、北と西東40メートルという長方形のこじんまりとしたものですが、周囲には中世からの建造物が今に残り、ローマ市内でも貴重な存在の広場として知られています。
19世紀には、このロトンダ広場は鳥市場として栄え、広場を埋め尽くすほどの人波でにぎわったと伝えられます。また、1809年から1814年のフランスの政権下では、ナポレオンの命で破壊の脅威にさらされもしましたが、1873年の都市計画にで破壊された建造物は新たに建立され現在に至ります。
1835年頃とされますが、その頃に建立された石造りの建造物には、写真のようなフレスコ画が描かれることを特徴とし、当時は広場を見下ろすようにして幾つかの建造物にこうしたフレスコ画が描かれたようです。
でも、雨ざらし陽ざらしです。その上、ナポレオン統治下での戦いやその後の世界大戦などをくぐってきた広場ですから、多くの作品に損傷が出たり、焼失したりと様々な禍に出遭っています。
ですから残ったものは数少ないのですが、でも、200年余もこうして広場を見守っているフレスコ画もあるのです。この上階にもフレスコ画が飾られていた痕跡が見えます。
写真の朽ちかけた作品は「聖母被昇天」を描いています。朽ちかけていても長年ローマ市民を見守っていることで、周辺には平穏な静けさが漂っています。広場から聞こえる歓声の中にいながら、静穏な空気が流れています。そして、長い時間、こうして広場を訪れし者を見守り続ける、その健気さに心打たれます。
このような広場はローマの街角のそこかしこに在ります。ローマを訪れることがありましたら、小さな広場にも目をやってください。広場を囲む多くの建造物が中世からのものです。是非。
《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》
(トラベルライター、作家 市川 昭子)