カエサル建設の古代遺跡チルコ・マッシモ Circo Massimo in Roma



《名画“ベン・ハー”のロケ地でもある古代の競技場チルコ・マッシモ》

ローマ旧市街地の東端に広がるこの長方形の広場は、チルコ・マッシモCirco Massimoと呼ばれる古代に活躍した競技場として知られ、ローマの7つの丘のアヴェンティーノとパラティーノの丘のちょうど中間地点に広がっています。創建は紀元前6世紀という古いもので、王政期ローマの王だったタルクィニウス・プリスクスによるものとされています。

ちなみにローマ帝国は王政期とローマを建国した、つまりローマという国を建国した紀元前753年の初代ローマ王ロームルスから始まったもので、二代目国王ヌマ・ポンピリウス、三代目トゥッルス・ホスティリウス、次にアンクス・マルキウス、タルクィニウス・プリスクス、セルウィウス・トゥッリウスと続き、紀元前509年に誕生した7代目国王タルクィニウス・スペルブスまでを王政期と呼び、のちに共和政ローマ、帝政ローマ(ローマ帝国)へと変遷してゆきます。

ということでこの10万人以上を収容するという競技場は、ローマの国(当時はローマは街ではなく国)の建国時からあったものですが、その後、ローマ帝国となった折には、カエサルたちの海外戦闘からの勝利の凱旋のための広場として、また、祝賀場所の使用目的のために、代々のローマ皇帝によって拡大され、現在見るような広大な競技場となりました。

競技場は、皇帝の居住区だった「パラティーノの丘」から見下ろすことができ、庶民の居住区「アヴェンティーノの丘」からも真下に見下ろせることを加味して造られた広場でした。ですから馬車レースの模様を誰もが我が家に居ながらにして見物できたのです。その後レースはローマの人々の中心娯楽として大きく育ってゆきます。

いくつものアカデミー賞を手にした映画「ベン・ハー」は、1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説「ベン・ハー」を原作とし、1950年、ウィリアム・ワイラーがメガホンを取って完成したものですが、劇中劇の戦車レースの撮影は、古代をリアルに表現するために実際にこの競技場で行われました。また、土煙を上げながら、必死に走る兵士たちの姿を捉えた二頭立ての馬での戦車レースはあまりにも過激に演じられたことで、撮影では戦車がカメラに突っ込み大破する事故もあったと伝えられます。

映画の大半を母国のアメリカではなく、ローマの大規模なスタジオで行われた「ベン・ハー」です。イタリアなしでは完成しなかったとも伝えられたこの作品は、主人公ベン・ハーを演じたチャールトン・ヘストン、ローマから派遣された役人、メッサーラを演じたスティーヴン・ボイドたちの名声を一気に高めた作品ともなりました。

また、カエサルに対してのローマ式敬礼が描かれたのもこの映画のセールスポイントになりましたが、この映画の序章でミケランジェロのフレスコ画「アダムの創造」が使用されていることに注目したいと思います。

競技場は、現在は2006年7月9日に行われたサッカーのワールドカップで優勝したイタリア代表の祝勝会や、ロックバンドなどのコンサートが行われたり、というイベント会場として利用されることが多いのですが、普段は写真の通り、静かな情景の中に佇んでいます。

ローマの街の各所にこのようにカエサルの足跡が残されていますが、貴族の楽しみとして戦車レースを目論んだ一人としても彼の存在は大きく、また、後にそのレースは貴族だけではなく、庶民にも楽しめるようにしたカエサル。彼の目論見は当たり、このチルコ・マッシモはローマ市民の楽しみの場となって育ってゆきました。

カエサルの優しい心遣いがここからも伝わってきます。ロマンあふれる古代が見えるチルコ・マッシモ。ここはカエサルの面影が見えるポイントのひとつです。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)