ナポレオンゆかりのボルゲーゼ公園 Villa Borghese in Roma



教皇パウロ5世の甥、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ(美術愛好者で知られ、後にベルニーニの後援者となってローマの街に多くの作品を飾ります)は、それまでブドウ畑だった場所をローマ史上最大の庭園にすることを長年夢見ていましたが、1605年、約80ヘクタールという広大な敷地をイギリス式庭園として造営し、その夢を果たしました。

それだけでも画期的なことでしたが、枢機卿の造営の最終目的は“芸術の桃源郷”を創ることでしたから、園内には美しい庭園の他、ボルゲーゼ美術館はじめ近代美術館などの他、ヴィラ・ジュリア博物館などのミュージアムなど、様々な建築物や美術モニュメントなどを点在させ、他に類を見ない贅を尽くした“芸術の森”を完成させます。

公園を造営すると同時にスキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のための壮大で豪華な城館を建立したことで、公園はボルゲーゼ家族の名にちなんで“ボルゲーゼ公園”と名付けられました。ちなみに日本では安土桃山時代が終わり、1600年に家康の江戸時代が始まった頃です。この公園が造営された6年後に日本は“禁教令”が発せられ、キリスト教などの信仰が禁じられます。

ローマの一大観光ポイントスペイン広場の階段を登った頂きの北側に広がるこの公園へは、スペイン広場から地下鉄に繋がる地下道から上がることも可能ですし、スペイン広場の西側に広がるポポロ広場からは、公園の南の一部となっているピンチョの丘に登ることができ、丘からはサンピエトロ大聖堂はじめ、ローマを一望できる素晴らしいパノラマを楽しむこともできます。

1605年に完成した園は19世紀に大改修が行われた、と先に申しましたが、1700年代にあっても大規模な公園の拡張と修復プロジェクトが行われ、その折りに「人口湖庭園」が新たに設けられています。写真はその一部で、 人工湖を前にして建つ「アスクレピオスの神殿」です。

アスクレピオスとはギリシャ神話に出てくる医療と健康の神で、アテネのディオニュソス劇場の西側に広がる「アスクレピオスの聖域」には、紀元前400年代には治癒を祈願する人たちが集ったと伝えられます。

また、水を崇拝する神と伝えられることで、この人工湖に神殿を設けたと思われますが、この秀麗な神殿は、今は結婚式を終えた若いカップルの記念撮影の場所として人気があるそうです。それは伝説とは関係なく、ロマンチックな背景として選ばれたのですが、ここで、新たに愛を誓ったカップルは生涯愛し合う、という噂が広がり、今は恋人たちの格好のシャッター・ポイントになっています。

その他、園内には「ラファエロの夏の別荘」やローマ時代の遺跡を模った「海馬の噴水」、凱旋門など数えきれないほどのモニュメントが点在しますが、中世にはボルゲーゼ家族は、毎週日曜日にこのプライベートパークを庶民に公開したことで、19世紀には噴水や湖での華やかでカラフルな花火と水のゲームで、ローマ市民のための祭りや公共イベントの中心地となってゆきました。

そして、ナポレオンの妹ポーリーヌが枢機卿に嫁いだことで、ナポレオンがこよなく愛した庭園で知られます。また、ここは妹と散策を楽しんだということだけではなく、ボルゲーゼ枢機卿のコレクションをいかにしてフランスへ持ち去るか。その策を練りながら散策していたかと思います。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)