『グランブルーの街タオルミーナ』“避暑地タオルミーナ” in Taormina,Sicily



夏の避暑地として知られ、眺望の良い高台に広がるタオルミーナはイタリア国内ばかりではなく、ヨーロッパ各国のセレブ御用達の町として、また1700年の後半から20世紀までは夏ではなく、冬の避寒地として上流階級の人々に人気を博しました。
最初にこの地の素晴らしさを見つけたのは、1750年頃の冬、厳寒のイタリア北部からやってきた旅行者たちでした。あまりある美しい景観と海の蒼さと山に生い茂る緑が織り成す素晴らしい情景、そして、冬でも青い空に覆われ、燦燦と輝く陽光に驚きを隠せず、なお、その暖かな風のそよぎに魅了されたのでした。そして、その情報は瞬く間に国内各地に広がり、毎年、冬になると貴族たちが避寒地としてこぞって訪れるようになります。いつしかリゾートしてのイメージは国内だけではなくヨーロッパ各国に浸透していったのです。

その後、第二次大戦にはこれといった攻撃もなかったことで、戦争が終わると町はすぐさま大戦前の姿に戻ったことから、1960年代にはイタリア国内から一気に観光客が押し寄せるようになります。イタリア人の夏のバカンスは2ヶ月間という長さです。夏の盛りには人々であふれ、タオルミーナは戦前以上に観光の町として、また、優雅なリゾートとして、繁栄の日々を送ります。

それはかつて作家たちが「地上の楽園」と褒め称えたこのような素敵な景観を維持していた町であったからです。そして、常に我が町を愛している住民たちの誇りが町を光輝かせ、多くの人々を引き寄せてきたのです。

画像の左手に建つ教会はヘレニズム期の神殿跡に17世紀に建立したサン・パンクラツィオ教会San pancrazioです。

《サン・パンクラッツィオ教会はタオルミーナの守護聖人聖パンクラッツォに捧げた17世紀のバロック様式の教会ですが、この教会は紀元前4世紀のゼウス・セラピス神殿の上に建てられているのですが、その証しが神殿の壁だった建物外壁の大きい石灰岩のブロックが積み上げられた部分です。教会の前庭には神殿の一部と思われるグレーの花崗岩の円柱の一片が保存されています》

教会は1600年前半頃に建設されていますが、実はギリシャ時代の神殿の上に造られたローマ時代の音楽堂“オデオン”の更にそれを覆う形で建てられたもので、教会の背後には今もなおローマ時代の劇場オデオンの遺跡の一部を見ることができます。教会とオデオンが発掘されたのは、教会の裏手で1800年代後半に工事を始めようとしていた時に偶然発見されたものでした。

教会の外観はバロック様式で造られていますが、派手さはなく荘厳さを重要視したデザインが逆に特徴となり人目を引きます。ファサードにはタオルミーナ産のピンクの大理石が使用されていますので、じっくりとご覧ください。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)