王侯貴族が顧客のサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局とオーデコロンの起源 Santa Maria Novella in Firenze



写真は1221年を起源とする世界最古の薬局として長い栄華の歴史を誇るサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の一室です。今なお創業を続けている現役の薬局ですが、販売ホール共々、ここは14世紀に聖ニコラスをたたえて建築された、という長い歴史を誇るサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院内部の教会として使われていた場所です。創建してから現在まで幾度となく改修がなされていますが、1848年の大改修でも、天井のゴシック様式やフレスコ画が破損、あるいは傷つかないように、14世紀のままに大切に保存されてきました。

1542年には独立した処方箋の元帳を作るために薬に精通した信徒が薬局の責任者に任命されますが、そのことが当時トスカーナ大公であったメディチ家のフェルディナンド2世の気持ちを動かし、1612年、正式に薬局として認可が下されることになります。(フェルディナンド2世はピアノ発明の功労者です)

天下晴れて薬局となったサンタ・マリア・ノヴェッラのスタッフたちは、薬屋としてここから本格的な活動を始めますが、そのときから、画像の部屋、旧薬局部分は1600年代から1848年まで販売室として使われ、薬局で一番重要な役目を担って現在に至ります。部屋には開設当時のクルミ材でできた棚やネオゴシック様式で飾られたカウンターなども保存されていますが、見逃せないのは左手に見えるガラス戸付きのショーケースです。

この中には、1718年カストーレ・ドゥランテ(Castore Durante)によって著された「薬草図鑑(Herbario)」はじめ世界から集まった王侯貴族、著名人たち顧客のサインブック、そして、処方や薬の製法などが記された1498年に公式書物として初版の「フィレンツェの製法書(Ricettario Fiorentino)の第6版」など、貴重な歴史的遺物が収められています。

また、ここは薬局の栄華の歴史を刻んだという場所だけではなく、様々なことで、社会に貢献した場所でもあるのです。それはこの薬局を舞台にしてメディチ家の存在をルネサンス期以前に世間に知らしめたことです。

その証しが当時の顧客リストには、メディチ家をはじめヨーロッパの王侯貴族の名前も多く記されていることです。ルネサンス革命を後押ししてヨーロッパ中にその名を馳せたメディチ家ですが、それ以前から銀行家一族として名を知られた名家でした。12~13世紀にあっては薬や香料、香辛料などの商売で財を成した一族として、トスカーナ公国では知られる存在だったのです。その頃からの顧客をリストに掲載しているのです。

豪華な内装を施した室内には、このようにメディチ家に支えられたサンタ・マリア・ノヴェッラの歴史と栄光の足跡が残されています。店内の至る所にはドミニコ修道会の紋章が飾られ、今もその癒しの思想が受け継がれていることを示しもします。そして、ここ薬局はメディチ家と共にフィレンツェという街に今なお貢献し続ける偉大なる企業でもあることも知ることができます。

ちなみにカトリーヌ・ド・メディシスはフランスへ旅立つ折、サンタ・マリア・ノヴェッラの製品を持参したことは当然ながら、その製法や処方を香水職人とともにフランスへ連れて行ったと伝えられます。

また、フランス王家のアンリ2世に嫁ぎ、王妃となるカトリーヌのために特別に調合した「アックア・デッラ・レジーナAcqua della Regina」(女王様の水・王妃の水の意)もその折りにフランスに持ち込まれていますが、それを元にして18世紀にイタリア人の薬剤師によってケルンで作られた「アクア・ディ・コローニア」(ケルンの水、オーデコロン)と呼ばれるようになり、これをオーデコロンの起源のひとつとして考えられています。なお、500年余も作り続けられてきたオーデコロンの原点でもあるこの「アックア・デッラ・レジーナ」は、現在も販売されています。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)