洞窟教会・暗く悲しい歴史の中で Santa Maria de Idoris in Matera



マテーラの洞窟住居地になっている部分は3つのサッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)に分かれています。いずれのサッシも石灰岩で覆われた丘陵地帯に居を構えた形跡を残していますが、それらは峡谷を利用して何層にも重なっているのことを特徴とします。

8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧がこのグラヴィナ渓谷に辿りつくのですが、彼らは山肌に点在する新石器時代から使われていた洞窟を見つけ、風雨を避けるには格好の家として住んだのが洞窟住居の始まりと伝えられています。その後、15世紀から16世紀にはオスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人などが移住してたことで、町は賑わい一時ですが、繁栄期を迎えます。でも、石灰岩に覆われた町です。これといった産物はなく、その後の経済逼迫の影響で衰退してゆきます。

ここに見る多くの遺物は、8世紀から13世紀にかけて東方からイスラム勢力を逃れた修道僧たちが築いたもので、渓谷には彼ら修道僧たちが建設したいくつもの教会も今なお建っています。迫害から逃れてこの地にやって来た彼らの日常は、すべてに耐え忍ばなければならない隠れキリシタンのような生活だったと思いますが、荒涼としたこの地で彼らはどのようにして生き抜いたのか。そんな思いを胸にしながらサッシの中を歩くと、行く先々で人知れず洞窟の奥深くに祀られているキリスト像が目に入ります。また、どれほどの時間を経過したのか判らないほどに朽ち果てた洞穴住居も目に入ります。悲しい情景が次から次へと目に飛び込んできます。

画像の向かって左手には洞窟住居と共に暗く、切ないほど無表情の“サンタ・マリア・デ・イドリス教会Santa Maria de Idoris”が建っています。教会の名前はギリシャ語のHodegetria(道の案内、または水)に由来し、ビザンチン僧侶たちにより聖ヨハネに捧げたものとして知られます。岩山を削って作られたこの教会の創建は14世紀~15世紀とされ、内部には、17世紀制作のテンペラ画聖母子はじめ地下道で繋がる地下室に至るまで、数多くのフレスコ画が描かれ、保存されています。マテーラを訪れましたら、是非、足をお運びください。当時を垣間見ることができます。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)