南イタリア世界遺産「悲しい町マテーラ」 Matera in Basilicata, South Italy



ここはイタリア南部バジリカータ州の一角に広がる荒涼とした町並みを見せるマテーラです。

画像でみるように旧市街地はこのようなサッシ(石・岩を意味するサッソの複数形)に覆われた洞窟住居で埋め尽くされています。ここは石灰岩の侵食により形成されたグラヴィナ渓谷。渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在しているのです。

このサッシの歴史は定かではありませんが、この地には8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、彼らがこのような洞窟住居を構えていたと伝えられています。そして、1993年、世界遺産に登録されました。港町バーリの南約60㌔のところにあるこの小さな町がなぜ世界遺産に登録されたのか。

それは他の国に類を見ない町の様相です。その歴史も含めて、この小高い丘を埋め尽くすようにして居並ぶ洞窟住居群。この希有な景観こそが、ここを世界的に有名にし、遺産登録された大きな要因となっているのです。この町には悲しい歴史がいくつもありますが、一番辛かったのは、一旦はイタリア政府から捨てられ、廃墟の町になったことでした。

でも、それは20世紀初頭よりから人口が急速に増加し、元々は畜舎であった劣悪な洞窟も住居として使用されるようになったことで、衛生状態も極度に悪化し、乳児の死亡率は50%に達するという状況を招いたことによります。行政当局としてもこの状態を放置できなくなり、1950年代に行われた法整備にもとづきマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設。サッシ地区の住民を強制的に移住させたからでした。その結果、サッシ地区は無人の廃墟と化し、荒廃したのです。

でも、国内の文化人たちがこの地を訪れ、150以上の石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産の見直しをしたことで、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定されるという快挙に結びつき、これを契機に訪れる観光客も増え、それにより宿泊施設、食堂、工芸品の販売店など、洞窟住居の5分の1ほどが再利用されるようになりました。

思えば、峡谷に人々が定住し始めた8世紀、イスラム勢力の迫害から逃れたキリスト教の修道士たちにより建設したその時から辛い過酷な日々の歴史が始まっていたのです。キリスト教徒たちの落人の町ですから、最初からまるでモノトーンの画像を見るように色もなく、何ら動きもなく、気味悪いほどの静けさの中に佇む町として生きてきたのです。

画像はマテーラの“サッソ・カヴェオーソ地区”です。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)