『永遠の都ローマ』“プッチーニのオペラ「トスカ」の舞台にもなった城塞サンタンジェロ城”



《文化芸術を愛した皇帝ハドリアヌスが建立したサンタンジェロ城。城のテラスは歌劇「トスカ」の舞台となりました》

サンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)はローマのテヴェレ川右岸にある城塞で、正面にはサンタンジェロ橋(ponte Sant'Angelo)があり、城から徒歩10分程の場所にあるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれています。

城は135年、ローマ帝国の皇帝「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、次の皇帝アントニヌス・ピウス治世の139年に完成。その後、建物が堅牢な造りであることから軍事施設として使用され、14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞として、また牢獄や避難所としても使用されます。

サンタンジェロ城(日本語=聖天使城)の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、教皇グレゴリウス1世の前に天使ミカエルが現れてペストの終焉を告げたという伝説に由来しますが、その故事を記念して16世紀にはラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)による大理石製の天使の像を城の頂上に設置しました。その後、1753年からはPierre van Verschaffeltによる青銅製の像を設置。城塞は1933年以降から博物館として開放され今に至ります。

なお、16世紀前半の教皇クレメンス7世は、ローマが神聖ローマ皇帝軍により恐ろしいローマ略奪を受けた折り、皇帝カール5世率いるドイツ人傭兵の包囲に抵抗するためここを城塞として使用しています。17世紀前半には教皇ウルバヌス8世がサンタンジェロ城の城塞としての役目のため強化に努めています。

このように歴代教皇の避難場所や住居にもなったことで、城の上部には教皇の居室がいくつかあり、パウルス3世が造らせた「パオリーナの間」の壁には当時のままにだまし絵技法のフレスコ画が残されています。

サンタンジェロ城の屋上からはローマが一望できます。もちろん、徒歩10分ほどにあるサン・ピエトロ大聖堂も遠望できますが、よく見るとヴァチカンから一直線に通路がつながっているのがわかります。これはニコラウス3世が13世紀に造らせた通路で、有事の際には歴代教皇はこの通路を使って直接城に逃げ込めるよう設計した道路なのです。

《註:歌劇「トスカ」では主人公がここのテラスからテヴェレ川に飛び込んで自害するということになっています》

クレメンス9世は、トスカーナの出身で、ピストイアの貴族の家系に生まれ、学識豊かな教皇であったウルバヌス8世に寵愛された文人のひとりとされ、1667年に教皇となった人物ですが、当時もっとも売れっ子だったバロック芸術の大家で旧友のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにこのサンタンジェロ城の前のテヴェレ川に掛かるサンタンジェロ橋の装飾を依頼しており、橋はベルニーニ自作の2体を含む10体の天使像の彫刻で飾られています。

これらの彫刻のオリジナルはサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に飾られていますが、この橋は名画「ローマの休日」の舞台になったことでも知られ、日々、観光客でにぎわいを見せています。

《余談:クレメンス9世は、ベルニーニを擁護しただけではなく、歌劇の台本作者でもあり、宗教オペラの様式を創り出した人物で、初めての喜歌劇(コミック・オペラ)「苦しむものに幸いあれ」は1639年2月27日に初演されています。その他にも、最初期のコミック・オペラの台本を何本か手がけたという、奇才です》

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)