《クイーン・アンストリート47番地は画家ターナーが最期を迎える1851年まで住んでいたところ》
チャールズ・ディケンズはじめ往年の名女優ヴィヴィアン・リー、画家ターナー、そして、現代ではポール・マッカートニーとガールフレンドのジェーン・アッシャー、ジョン・レノンなどが往来し、あるいはこのエリアに居住したというメリルボーン地区は、広大なリージェンツ・パークの南側に広がるメイフェアとオックスフォード・ストリートの北側に位置します。
ロンドン・メリルボーンはハーレー・ストリートを中心にして、伝統的に多くの医療や歯科医院が軒を連ねることでも知られます。また、ベーカー・ストリートからオックスフォード・ストリート(デパートSelfridgesの裏)まで延びているメリルボーン・ハイストリート(Marylebone High street)を中心にして、個性的なカフェやコンラン卿プロデュースのレストランOrreryの他、おしゃれなコンランショップやキャスキッドストン、ブリッジウォーターなどの英国発のオリジナリティに富んだお店が軒を連ね、地元客でにぎわう一角でもあります。
メリルというエリア名は、1817年、この地に建立された聖マリアに捧げられたセントメリルボーン教会St Marylebone Churchが由来となっています。画像左手に見える教会がセントメリルボーン教会です。ここは1200年頃に創建された古刹ですが、幾度となく災害に見舞われ、何度も改修工事が行われて現在に至ります。
《註》セントメリルボーン教会は、サマセットハウスなどを手掛けたトーマス・ハードウィックThomas Hardwick(1752年~1829年)により建立されたもので、ロンドンの中でも際立つ秀麗さを誇っています。
周辺は13世紀頃には、ロバート・デ·ヴェレ、オックスフォード両伯爵のマナーハウス(荘園)が開かれていましたが、 15世紀末、トーマス・ホブソンは荘園の大部分を買い占め、その一部を1544年にトーマス・ヘンリー8世の持つ北部に広がる鹿公園(後にリージェンツ・パークとして開かれます)と交換します。
《註:英国王室は17世紀当時「メリルボーン・パーク」("Marylebone Park")と呼ばれたこの鹿公園を狩猟場として使用し、女王エリザベス1世や国王ジェームス1世が各国の大使たちと狩りを楽しむ場所として使用していました》
また、南部エリアも1710年にジョン・ホリス、ニューキャッスル公爵が点在する荘園や鹿公園を購入したりしたことで、メリルボーンの開発は貴族たちの手により、着々と進み、豪奢な城館が軒を連ねるようになるのです。現在は中世末期から近代まで多くの貴族たちによって建立されたそれらの歴史的建造物である城館が軒を連ねることにより、メリルボーン地区はロンドンでも屈指の城館の街として注目を集めています。また、19世紀中頃から20世紀までの約100年間は、スノッブな雰囲気に魅了された多くの著名人が、こぞってこのエリアに居を構えたことで、注目度はなお一層高くなり、人気エリアとなったのですが。
そのひとつがクイーン・アンストリート47番地です。ここは1840年代、画家ターナーの住んだ家で、彼が最期を迎える1851年まで住んでいたところです。また、マンスフィールド・ストリート61番地の自然史博物館は、1812年に建設された公爵の城館、という由緒ある建造物であり、メリルボーン地区の東端に延びるウィンポール・ストリート57番地Wimpole St.57に建つ18世紀の城館には、1964年から1966年の2年間、ポール・マッカートニーとガールフレンドのジェーン・アッシャーが居住したところで、地下室に供えられたスタジオにはジョン・レノンが足繁く通ってきていたと伝えられます。その他、詩人のエリザベス・バレットも同じ通りに1840年から1845年の間住んでいました。ウェルベック・ストリート18番地には1830年代にチャールズ・ディケンズなど多くの著名人が住んだという記録が残されています。
そして、先にここは“ハーレー・ストリートを中心にして伝統的に多くの医療や歯科医院が軒を連ねることで知られます”と記述しましたが、一帯は何百年もの間、医療専門家の本拠地であったとされることで、今なお病院の件数も多く、多くの有名人たちがこのエリア内の病院を利用することでも知られます。その一人にあの名優ヴィヴィアン・リーがいました。 彼女がまだ女優志望だった頃、当時20歳のヴィヴィアンとRADAの学生との間にできた子供を、1933年、ハーレー・ストリート8番地のRahere特別養護老人ホームで出産したと記録されています。
様々な人々の、様々な生き様を記録したメリルボーンには今なお、多くの著名人たちが居住しています。それは都心とは思えない清新な空気が漂うからでしょうか。あるいは明日にいざなう風が吹いているからかもしれません。
《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》
(トラベルライター、作家 市川 昭子)