パリの変わらない風景“ギャルリー・ヴェロドタ” Galerie Vero-Dodat in Paris



1820年代のパリにはいくつものギャルリーが建設されました。この画像の1822年に2人の豚肉加工業者であるヴェロとドタが作ったギャルリーそのひとつで、当時、流行していたガス灯をいち早く採用したアーケードで知られます。

また、当時、並行して延びる道路と道路をつなぐようにして細長く建設されたギャルリー館内には仕立て屋、床屋、靴屋、花屋、ワイン商、本屋、手芸材料屋、版画商などのほか、小さなビストロなどが軒を連ねたことで、ここは社交場として、また、風雨を避けながらショッピングができるという便利さも手伝って、あっという間に人気を得た最初のギャルリーで知られるのです。以来、パリには17世紀までの間に100軒を超えるギャルリーが建設されたと伝えられますが、ルイ・ナポレオンによる第二帝政期からは市民たちの生活苦が増し、気持ちに余裕がなかったことで、ギャルリーを訪れる人が激減し、当時100余もあったギャルリーには閑古鳥が鳴くようになりました。

いつしか寂れていった多くのパリのギャルリー。でも、第二次大戦後、世の中が落ち着き、市民たちが各自の生活を楽しめる時代に入るとギャルリーは活気を取り戻し、1960年代には市内に残った16ほどのギャルリーに次第に人々が集まり始めたのです。その一つがこの100年余の時を経たギャルリー・ヴェロドタでした。ギャルリー・ヴェロドタは今、こうして昔を懐かしむかのように静かに佇んでいます。ここはこの先、10年の経過があっても、いいえ、50年という長い時が過ぎても何も変わらず、時間の流れが止まったように“パリの変わらない情景”を大切にして生き続けると思います。

またもう一つ、パリの変わらない風景に“ギャルリー・コルベール”Galerie Colbertが挙げられます。パリの中心地に建つパレ・ロワイヤル周辺は、高級ホテルはじめブランドショップ、レストランなどが多く立ち並んでいますが、一歩北に向かうと中世末期に作られた館が連立する趣きあるエリアが広がっています。

そして、パレ・ロワイヤルの北側の国立図書館の東に隣接して建つコルベール館(1665年建設・現在は国立図書館分館)の奥にはギャルリー・コルベールGalerie Colbertとヴィヴィエンヌが都会の喧騒から逃れるかのように静かに佇んでいるのです。1800年代に建設された館内は、まるで200年余もタイムスリップしたかのような落ち着いた静けさに包まれ、今に佇んでいるのです。そこにはまるで時が止まったかのような静寂と1800年代を彷彿とさせる優しさが漂い、館の北端にはかつてランベール夫人がサロンを開いていた部屋が残されています。

下記はパリの変わらない風景“ギャルリー・ヴィヴィエンヌ”Galerie Viviennenの紹介です。

コルベール館(1665年建設・現在は国立図書館分館)の奥には先に紹介しましたギャルリー・コルベールとギャルリー・ヴィヴィエンヌが広がります。

現在パリ市内に残るギャルリーの大半が、18世紀末から19世紀前半にかけて建設されたもので、 当時は市内には100軒を超える豪華なギャルリーがあったと伝えられています。現在はその数16程に減少。でも、中世末期を今に伝えるそれらは、19世紀当時には多くの著名人たちが愛したギャルリーだったところで、今なお当時のままに気品ある佇まいを見せています。

また、秀麗なネオ・クラシック様式のこのギャルリーは、当時の公証人議会長マルシューが富のシンボルとして「パリでもっとも美しい魅力的な空間」を作らせた、というだけあって名前もギャルリー・ヴィヴィエンヌと麗しく、約200年前、1826年に開いたギャルリーは今も当時のままに瀟洒で気品漂う時間が流れています。

館内には有名ブランド・ショップも開店し、ラン専用のフローリストも逸品のワインしか扱わない高級ワイン・ショップも軒を連ね、華やかな時間の流れもあります。でも、どのショップも店名は大きく扱わないのです。それがとてもおしゃれで、控えめでクラシカルなのです。

古都パリらしいリッチな雰囲気が漂うギャルリー・ヴィヴィエンヌは19世紀のネオ・クラシックの世界に浸れる場所。パリならではのエスプリが漂う素敵な場所です。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)