アルフレッド・ダンヒルの堅実な歩み Alfred_Dunhill in London



ロンドンの中心部ピカデリー周辺には、伝統と格式を重んじる老舗ショップの多くが点在していますが、ピカデリー・アーケードと繋がるジャーミン・ストリート(Jermyn Street)は、チャールズ皇太子やサー・ウィンストン・チャーチル、ロナルド・レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョン・ケリー、チャーリー・チャップリンなどを顧客にするターンブル&アッサーやトーマス・ピンク など、ワイシャツやスーツを作る老舗テーラーが軒を連ねる通りとして知られます。

画像はそのジャーミン・ストリートの一角、48番地に建つ英国が誇るブランド“アルフレッド・ダンヒル”のショップです。

アルフレッド・ダンヒルAlfred_Dunhillは、1893年、21歳のとき父親の馬具事業を継承した後、ロンドンのユーストン・ロードで創業します。創業時には自動車の需要が増えてきたことを先取り、ダンヒルモートリティーズ"と呼ばれるブランドを立ち上げ、自動車のアクセサリーを開発・販売。その後、車のクラクションやランプ、革のオーバーコート、時計など車専用用品だけではなく、それに付随したブランド独自の用品を加え、製造販売します。それはダンヒルならではの製品となって大きな反響を呼び、以後、繁栄を続けます。

アルフレッドの夢は、自社製品を増やし、トータルに揃えられるファッションブランドに育てることでした。ですからその手始めに喫煙用品に力を入れ、ブランド化に務めます。もちろんその評価を高く得、1907年、ロンドン、イースタン・ロードに喫煙用品専門店を開業。開業当初はパイプやライターなどの喫煙具にこだわり、ダンヒル喫煙製品のブランドを確立してゆきます。

それが成功すると次にはアクセサリー、衣類、そして香水など紳士向け用品全般を取り扱い、アイテムを増やしてゆきました。

彼の成功の秘訣はこのように常に段階を経たからですし、また常に無理しないことでした。なぜなら、無理は無理を招き、最悪、自滅への道を選ばざるを得なくなるからです。それは馬具商を営んでいた父親の教えでもありましたが、父親の堅実な商法を見て育ったからでした。また、その時々の世の中の情勢を察知することは商売には重要なことであることを父親の動きの中に見出した彼は、常にその時々の情勢に合った製品を編み出し販売したのです。

その後、既製服、オーダーメイド紳士服、皮革製品と付属品など英国の高級品としてブランド化し、幅広いアイテムを揃える高級トータル・ショップとして“アルフレッド・ダンヒル”の名を世界に馳せてゆきます。

パリはじめニューヨーク、東京、香港など世界に支店、あるいはアンテナショップを開くダンヒルは、最終的に会社を弟のアルフレッド・ヘンリーと彼の娘マリア、彼の孫のリチャードたちに引き継がせ、1920年代にビジネスから引退します。でも、一線には出ないものの、その後も多彩な才能を見せるアルフレッドは、喫煙具だけではなく、また、紳士服だけではなく、レディースも揃え、なお、“人が生きるために必要なアイテム”のいくつかを構築し、それを弟たちへの置き土産として最期を迎えました。

無理が無理を呼ぶことを周知していたアルフレッドでした。また、自分が生きることができる許容範囲を知っていましたから、その中でフルに動き、フルに学び、めいっぱい頑張ったのです。それはなによりも時間を無駄にしない生き方でした。また、後悔のない生き方でもありました。

2007年、ニューヨークとパリなどの世界4大都市に展開する“HOME”と呼ばれるダンヒルのコンセプトショップを東京・銀座に設立

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)