古代アグリッパ皇帝の姉妹の屋敷跡に建立の中世の貴族の城館“シアッラ宮”



ローマの中心部、コロンナ広場周辺には古代から今に至るまで数多くの遺跡や建造物が残されています。また、中世には周辺を中心にして商業が発展したことで、広場を囲むようにしてアーケードが設けられました。現在も当時の面影を色濃く残すアーケードが風情ある佇まいを見せ、また、ローマ観光では外せない“トレヴィの泉”があり、周辺は観光客の重要なエリアの一つになっています。

《バロックと新古典主義の貴族の館》Palazzo. Sciarra in Roma

そして、そのエリアの中に人知れず佇んでいるのがこの古代から中世に引き継がれた情景を今に残す貴族の館シアッラ宮Palazzo. Sciarraです。ここは古代にはアグリッパ皇帝の館が連ねていた丘のひとつクィリナーレの丘の一角。この城館の前身は古代アグリッパ皇帝の姉妹の屋敷だったところです。中世にはコロンナ広場の改築に伴って古代ローマ時代に建造されたここも、古代の中庭を残して、貴族の館が建立されました。その後、18世紀に再び改修され、現在のような秀麗な館に生まれ変わったのです。

宮殿はトレヴィの泉のすぐ南Via Marco Minghettiとローマの目抜き通りコルソ大通りVia del corsoの東に面して建っています。中庭に面した四方の壁には盛装した淑女が今にも踊りだしそうな、そんな華麗な情景が描かれていたり、両隣の壁にもこのように壁面だけではなく、柱にも梁にも至るところ精緻な図柄が描かれているのです。それは圧巻としか言いようがなく、訪れた旅人を魅了し釘づけにするのです。

《シアッラ家は名門貴族コロンナ貴族から枝分かれした由緒ある家系》

ちなみにシアッラ家は15世紀、ローマ周辺では名の知れたコロンナ貴族から枝分かれした由緒ある家系を誇る貴族で、当初この城館の半分はコロンナ家のものだったと伝えられます。また、その関係でしょうか、建設はコロンナ家直属の建築家と言われていたフラミニオ・ポンツィオFlaminio Ponzio(彼はボルゲーゼ宮殿=現美術館やサンタ・マッジョーレ聖堂など手掛けている著名な建築家で知られます。また、ベルニーニの良き理解者であり後援者でもあったことも知られます)に1610年、宮殿の建設が依頼されたのです。でも、彼は依頼されてから3年後の1613年、病に倒れ死去。その後、建築家のめどが立たずしばらく放置されていましたが、1641年に、オラーツィオ・トッリオーニOrazio Torrioniに引き継がれ城館は完成します。

しかし、18世紀に枢機卿プロスペロー・コロンナは、装飾を含めてあまりにも地味過ぎることに不満を抱き、時代にそぐわないという理由で友人であった建築家ルイジ·ヴァンヴィテッリLuigi Vanvitelliに建物の改修を依頼するのです。その結果、この画像のような壁画に覆われた豪華で素晴らしい城館を完成させます。

《宮殿の改修をしたルイジはトレヴィの泉のデザイン公募に応募した建築家の一人》

ルイジはバロックと新古典主義を駆使した秀麗な装飾を得意とした当時売れっ子の建築家でした。また、コロンナ枢機卿のもっとも信頼する建築家でもありましたが、実は彼は1762年に完成したトレヴィの泉のデザイン公募に応募し、フェルディナンド·フーガ、ニコラ·サルヴィと共に最後の三人まで残った建築家だったのです。そして、彼は整然とした中に煌びやかな気品を漂わせ、観る者をいつか知らぬ間に絢爛な世界に誘う。誰にも真似のできないそんなデザインを得意とする芸術家でもありました。

ローマの街角にはガイドブックには紹介されていない、中世の置き土産が人知れず点在しています。そして、このように素晴らしい建造物に偶然出会った旅人は、その日は終日幸せな一日を過すのです。予期しない出会いに遭遇したかのように、歓びに浸り幸せな気持ちにもなるのです。

古都ローマの小路にはいつだってこんな出逢いがあることを忘れないでください。ローマという街角には、いつもこのような素敵な出逢いが待っていることを覚えておいてください。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)