“舞姫”の主人公豊太郎ゆかりのブリンディシの港



南イタリアにはいくつもの素晴らしい港町が開けていますが、その中でも突出した知名度と華やかな歴史を誇るのがこの町、ブリンディシです。イタリア地図のハイヒールの一番先に位置するここは、蒼く澄んだ水を湛えるアドリア海を挟んでギリシャを目の前にし、バーリと並んでギリシャ船の玄関口として、そして、紀元前3世紀の古代には、750㌔㍍にも及ぶアッピア街道をここまで延ばし、これをオリエントへの軍港とした港町です。

中世から近代に掛けては海港都市としてますますの繁栄を続けたバーリでしたが、第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となったことで、1943年9月には連合国軍に占領され、12月2日にドイツ空軍の空襲で港湾施設などに多大な被害を受けました。

でも、歴史に培われた市民の不屈の精神は途絶えることなく、戦争時の哀しみの痕跡は消し去り、何事もなかったように南国の澄んだ空の下に爽やかな景観を自慢としてこうして佇んでいます。

碧い空と海が一体となった瀟洒でおしゃれな街、バーリ。そのロケーションの良さから、古代から今に至るまで、多くの人たちを港から送りだしました。

そして、その一人が明治・大正に活躍した小説家であり評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医だった森鴎外の代表作のひとつ「舞姫」の主人公豊太郎です。豊太郎はこの港から日本へ独り帰りました。回復の見込みのない病身の愛する人をドイツに残して日本に帰国する豊太郎は、悲しみと深い愛をこの港町に置いて帰路についたのです。豊太郎にとって愛しい人エリスとの決別の地になった街がこのブリンディシでした。

その折り、「相沢謙吉が如き良友は、世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心、今日までも残れりけり。」と豊太郎は辛い心中を呟いています。

カエサルがクレオパトラに対する思いをこの港に置いて、ローマへ帰っていったその心情に相似する豊太郎の思いもここに在るのです。ですから、振り返ったアドリア海には、彼らが残した愛しい人の面影と哀惜に染まった美しい風がいつも吹いているのです。そして、港の先に広がる海原の波間には、豊太郎やカエサルが置いて行った愛しい人への思いが見え隠れしています。ロマンあふれる世界がここにあります…。

《そして、ここはアッピア街道の最終地点の街です》

ブリンディシは古代からの歴史とこの街を永住の地とした人々の足跡を記録するモニュメントが多数点在する街のひとつに数えられていますが、港の傍らに建つ円柱はそのなかでもっとも重要なものとして、また、街のシンボルとして大切に保存されています。それは古代のギリシャへの遠征にはカエサルもアウグストゥスもローマからアッピア街道をひたすら南下し、港に建てた円柱を目印に拠点として使用し、ギリシャへ向かいました。

また、町はローマ帝国時代から地中海の海路の要所として栄えていたということだけではなく、中世には十字軍を送り出す主要な港としても繁栄を続けました。現在も港町として、また、バーリなどと共に南イタリアの工業の拠点として繁栄を続け、世界的にもその名を知られる開港都市して華やかな町並みをみせています。

ここにはローマ帝国としての誇りと文明の英知を誇る古代ローマの風が吹いているのです。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)