徳川家斉の時代に創業スイーツの老舗“ダロワイヨ”



《ルイ14世に賞賛され、マリーアントワネットも食していたと伝えられるマカロンの原型を開発したダロワイヨ》

パリのフォブール・サント・ノーレ通りに本店を置くダロワイヨは、日本でも多くのファンを持つチョコレートやケーキを主としたスィーツの老舗ブランドです。今現在、世界に31店舗出店しているダロワイヨですが、その内銀座店はじめ、自由が丘店、日本橋三越店、銀座三越店、東急本店、東武池袋店、そごう横浜店、そして、大阪心斎橋店、名古屋三越店など18店舗が日本、4店舗が韓国というのです。

ダロワイヨはフランス国内以外に、アジア、ことに日本人が愛するスイーツのブランドとしても知られるのです。それは歴史があまりにも華麗で、あまりにも素晴らしい足跡から生み出された逸品の味ゆえに、日本人は魅了されたのだと思います。

《華麗な歴史の発端はヴェルサイユ宮殿が華やかかりし頃の1682年から始まりました》

創業は1802年という、日本ではまだ徳川家斉の江戸時代です。でも、創業に至るまでの経緯はそれよりはるかに昔、ヴェルサイユ宮殿が華やかかりし頃まで遡るのです。その華麗な歴史の発端は1682年から始まりました。1682年、シャルル・ダロワイヨは当時コンデ公に仕えていた料理人の一人でした。でも、彼の料理人としての腕は群を抜いて素晴らしく、ことにパンを造ることでは自他共に認められていた腕の良さでした。

そこは貴族に仕えるというだけで、あまり目立つことのない職場でしたが、あるとき、コンデ公が主催するレセプションでシャルルが焼いたパンを供したところ、その味の良さに誰もが驚き拍手喝さいを浴びたのです。当然、その評判は当時の王ルイ14世の耳にも届き、王に招かれます。

その後、シャルル・ダロワイヨはルイ14世の要請でヴェルサイユ宮殿の厨房に入り、パン焼きの名手として勤めるのです。シャルルの精進は絶えることなくその後も続き、彼の手で開発された菓子類もルイ14世の家族に供され、王族からの信用も勝ちえます。

彼の亡き後もダロワイヨ一族の兄弟4世代がヴェルサイユ宮殿で歴代の王に仕え、当時のフランスの最高の美食の称号であった“Officier de bouche”(食膳係)という名誉ある職名を得、料理の世界でその名を世間に知らしめたのです。

《マリー・アントワネットも食していたと伝えられるマカロンの原型を1830年代に開発》

シャルルの献身的な仕事ぶりに感銘を受けたルイ14世は、信頼をますます厚くし、シャルルの食の世界をもろ手を挙げて称えました。その証しでしょう、王はダロワイヨ一族に貴族の称号を与えたことで、彼らは王族の晩餐会に招かれたり、公式な儀式にも参加し、貴族として華麗なる歴史を刻みました。

その後、1780年代末期にフランス革命が起き、王族たちは大きな被害を被ることになりますが、当然、ダロワイヨ一族も宮殿から追われ、貴族の称号も失います。でも、シャルルの子孫ジャン・バティスト・ダロワイヨは、それまでの一族の歴史を捨てるには惜しくまた、先代たちが遺してくれたダロワイヨの歴史的遺産を生かそうと思案し、ピンチをチャンスに変える企画を考えました。

そして、ヴェルサイユ宮殿を追われた20年後の1802年、「美食の館ダロワイヨ」をパリのフォブール・サント・ノーレ通りに創業するのです。

その後、ダロワイヨは、マリー・アントワネットも食していたと伝えられるマカロンの原型を1830年代に開発し、1890年代にその味を高めて“パリジャンマカロン”として完成させ、一世を風靡します。もちろん、マカロンは今現在もダロワイヨを代表するスィーツとして健在です。また、外から全ての層が見えるという斬新な形のケーキ“オペラ”は、1955年にダロワイヨのシリアック・ガビヨンによって創られましたが、それもヒット作品となり、今なおマカロン同様にダロワイヨ自慢の作品となっています。

ダロワイヨの歴史は、1682年にヴェルサイユ宮殿で王に仕えたシャルル・ダロワイヨから始まり、その誉れは今も引き継がれ、華麗なる足跡を残し続けています。貴族としての誇りも持ち続けています。それゆえに品々はダロワイヨ家の歴史を培ったものとして、美しく気品すらあふれるのです。

フランスには“美食”という世界がありますが、ヴェルサイユ宮殿に生きたルイ14世からの王族がその世界を培い、それをダロワイヨ一族がルイ家から引き継ぎ、今に至るのです。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)