ジョルジオ・アルマーニ“蒼い風色” Giorgio Armani in Paris



イタリアを代表するファッションデザイナーの一人であるジョルジオ・アルマーニは、1934年7月11日、北イタリアのピアチェンツァで生まれ、今年82歳という高齢にもかかわらず、近年、多彩な顔を見せ、様々な分野で活躍をしています。その活躍はファッションブランドの枠を超え、ホテル経営に乗り出したり、劇場を設立したり。彼の底深く潜んでいる芸術性をフルに活用したトータル・ライフスタイル型の巨大ファッション・ブランドにまで成長させようとしているのです。ちなみに資産は2015年フォーブスの発表ではアメリカ合衆国ドルに換算して80億と伝えられます。

老いてますますその多彩さを見せる彼は、誰が見ても素敵な貴公子イタリア人なのですが、彼は意外にも飾りに満ちた世界を嫌い、シンプルで優しい世界を望み、自分の夢を自らの手で叶えようと構築しているのです。

そのコンセプトは、下記のアルマーニの持論に集約されていると思います。また彼の作品からは常に時代を超えたエレガンスが伝わってくるのは、アルマーニスタイルは上品でありながら控えめ。この持論に徹しているからでしょう。

「僕のデザインの根底にあるのは“あくまでもナチュラルで着心地がよく、そして、現代生活にマッチするもの”。だからそれを追求してゆくと、自然とシンプルなものになっていくのです。そして、ファッションでも、いささか奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり感じられるのは、無意味だと思っていますし、洋服としては意味がない。だって奇抜なデザインのファッションは、着る者にもそれを見る者にも不安を与えると思うからね」

ミラノ大学医学部在籍中に兵役に召集され、兵役が終了した時点で大学へは戻らずに中退して好きだったファッションの道を歩み出します。でも、起業したのはデザイナーとして20年近く業界で働いた後の1975年、セルジオ・ガレオッティと共に会社を設立し自社商品を発表した41歳のときでした。年齢的に遅いスタートでしたが、素材の品質の良さ、シルエットの美しさ、着心地の良さを追求したアルマーニ・ブランドは高く評価され、瞬く間に著名人の注目を集め、世界中に顧客を持つようになります。

その後、「モードの帝王」と呼ばれ、イタリア国内だけではなく世界中で活躍します。そして、2001年にはホームベースとしているミラノに、日本人建築家の安藤忠雄氏のデザインで、長い間に夢だったホテル・アルマーニ・テアトロを設立。2011年にはドバイのホテルに続き、アルマーニ・ホテル2号店となる「アルマーニ・ホテル・ミラノ」をミラノの中心街、モンテナポレオーネ通りに隣接するマンゾーニ通りにオープンします。

老いてますますその多彩さを見せる彼は、誰が見ても素敵なイタリア人ですが、独身です。それは彼の描く夢の世界には大学時代に事故死した恋人との愛の世界が今でも鮮明に脳裏に残っているのかもしれません。そして、若き頃の爽やかで美しい愛の世界が今も彼の心にあるとすれば、その世界は褪せることなく当時のままに在るのです。

それは二人だけが生きるシンプルな世界だったはずですし、お互いに真剣に愛し合う、それだけの世界でしたからとても綺麗でした。そして、二人だけの世界に蒼い風が吹き抜けるその心地よさが、アルマーニを常に幸せにし、以来、彼は常に想い出の“蒼い風色”のTシャツと黒いズボンを身につけているのかもしれません。

画像はパリのヴァンドーム広場の一角に建つ蒼い風の中に白いドレスが舞うアルマーニのブティックです。洗練された美しさに包まれています。清らかな愛の世界が広がっているかのように、素敵な世界がここに在ります。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)