2016/06/27

世界最大のダイヤモンドの街とナポレオン


アントワープ中央駅周辺にはダイヤモンド関係の取引所・研磨所、そして、画像のような高級宝飾店が軒を連ねています。その数はおよそ1500軒とも2000軒ともいわれる大規模なもので、そこで働く人の数も2万人以上。

アントワープが世界最大のダイヤモンドの街と言われる所以はこのような規模だけではなく、長い歴史に培われてきたプロセスにもあります。その第一の要因は、中世初期から始まり、15世紀にはすでにアントワープはダイヤモンド産業でヨーロッパ中にその名を馳せていたということです。

それは街がダイヤモンド産業に関わることになったきっかけは、北海を前にした開港の街だったからでした。

というのは当時ダイヤモンドが採れるのはインドだけでした。その頃、海洋王国として世界を股にかけて活躍していたポルトガルは、当然それに目をつけ、ダイヤモンドの取引を含めて、インドとの交易を重要視していましたが何せインドは遠い国。何カ月も掛けて行き来しなければいけません。そこで白羽の矢を立てられたのが、当時、海港していたアントワープでした。ポルトガル船のアジアへの往路、復路の途中の寄港地として選ばれたのです。

そればかりではありません。アントワープ港で荷物を一時的に陸揚げし、港の一角で本国行きとヨーロッパ各国行き別に分ける作業をし、アントワープ港を起点にしてヨーロッパ各国と交易をしたのです。その中で荷揚げする中に光り輝くダイヤモンド原石を何度も見たアントワープの人たちは、いつしかそれを自分たちの手で何とか製品にしたいと考えるようになったのです。

その発想はアントワープに住む商売に優れた才能を持つユダヤ人から出たものでした。研磨技術もまだ未知の世界だったこともありますが、アントワープの市民にはユダヤ人が望む“原石からの製品化”については疑心暗鬼。最初は消極的でした。でも、彼らは宝の山を見過ごすアントワープの人たちを説得し、原石を購入するのです。そして、ユダヤ人の手により、研磨・加工の技術が少しずつ育てられてゆきます。それから約300年間経た18世紀には、街には加工所が林立し、世界中に流通するダイヤモンドの内のおよそ半分以上が加工・研磨されるようになります。

もちろん、現在もその状況は変わらず、長い歴史に培われた信用度の高さは世界一。また、世界にはダイヤモンドの鑑定組織が二つありますがその一つがアントワープにあるというのも街の誇りとなっています。

ちなみに世界的に権威のあるダイヤモンド鑑定書(品質保証書)の発行機関はこのアントワープのHRDとアメリカのGIAに限られると思って良いと思います。ことにHRDはベルギーの4ヶ所のダイヤモンド取引所を総括する公益法人で、その鑑定部門は公平でかつ正確であると定評があるのです。

《余談》1804年12月、フランスの皇帝に就任したナポレオンは、その後、すぐさま欧州大陸のほとんどの国を傘下に治め、兄ジョゼフをナポリ王にし、弟ルイをオランダ王として重要な街に親族を据え、ヨーロッパにナポレオン帝国を構築します。

そして、同時に英国との戦い“対英戦争”の一環として傘下に置いた各国に“フランス製品以外の出入りを禁じた大陸封鎖”を宣言したのです。それはヨーロッパ各国の経済を沈滞させ、各国に大きな影響を及ぼしました。もちろん、各国との交易で日々を暮らしていたこのアントワープも例外ではなく、様々な産業に影響が出、なかでもダイヤモンド業界のマイナスは大きく、業界に屍同然の事態を招きました。

というのもフランス製品以外の出入りを禁じた大陸封鎖でしたが、制限されたのは物流だけではなく、人の出入りも制限されたからでした。欧州各国を相手に交易をして経済が成り立っていたアントワープでしたから、そのダメージは大きく、ダイヤモンドの原石の輸入もなければ、産業として成り立っていた毛織物の輸出も不可能でした。また、ダイヤモンド製品を買い付けるヨーロッパの商人たちの出入りがなくなったのですから一気に経済は沈滞し、街は死したも同然。活気を失ってゆきました。

ダイヤモンドの研磨職人は生き残ってはいるものの、需要はなく仕事も激減でしたが、そんな中、ナポレオンの弟ルイが統括する隣国オランダはルイ王に賄賂を渡し、規制を掻い潜っての輸出入をやります。ですから大陸封鎖もなんのその。それどころかナポレオンが没落すると同時にそれまでの輸出入で儲けたお金を使い、アントワープを抜き落としてダイヤモンド産業をいち早く復興させたのです。その機を得た動きは見事なものでしたが、研磨にあっては天下をとることはできず、今なおアントワープの研磨技術は世界一を誇るのです。

アントワープという街を深く知れば知るほど彼らの真摯な生き方が栄光を呼び寄せ、成功という素晴らしいチャンスを創っていることに気づきます。常に慢心にならず自分を叱咤して、そして、日々の勤勉さがそうさせていることにも気づきます。それはルーベンスに代表される伝統的な市民の生き方なのでしょう。

画像はユダヤ人街の一角にある宝飾店です。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)
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