宮本武蔵ファンのカステルバジャック Castelbajac in Paris



日本でもおなじみのポップなデザインを特徴とするカステルバジャック。彼は本名をジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャックといい、1949年11月28日、モロッコのカサブランカに生まれました。

父親の仕事の関係もありましたが、裕福な家庭だったこともあり、ジャンが生まれて数年の経過がった1950年代半ばでした、フランス中部のリムザンへ移住します。そして、教育熱心な両親は、先のことを考えてジャンに6歳から寄宿生活を始めさせ、全教育課程を地方の5つの異なった寄宿学校で学ばせました。

それは両親の教育方針の一つ“多様性を持った環境で学ぶこと”に値するもので、多様ゆえに当人が持っている潜在意識下のいくつかの個性を引き出すことが容易にできるという理由で、約12年間を5つの学校を転校し卒業させたのです。

その教育が功を奏したのでしょう、また、母親がファッションメーカーを経営していたこともありますが、感性豊かに育ったジャンは、学生生活を終えるとすぐ、ファッションデザイナーとして生きることを決し、1968年、18歳の彼は母親と共にプレタ・ポルテのメーカー「コー・アンド・コー(Ko&Co)」を設立したのです。そして、そこを拠点にして母親同様にデザイナーとしての道を本格的に歩み始めます。

幼い頃からの両親の教えに基づき、ひとつの世界に生きるのではなく、他流試合も必要と感じた彼は、その後の4年間をパリのピエール・ダルビーの会社の専属デザイナーとして生きますが、その折、彼にデザイナーとして認められたことにより、改めてデザイナーとしてのカステルバジャックの基礎を創ったのでした。

それは個性あるもので、1970年、寄宿生活時代の毛布を使ってコートを作り、最初のショーを開きました。もちろん、他のどんなデザイナーにも思いつかない彼独自の世界をしっかり主張し、観衆を驚かせました。

そして、1974年、カステルバジャックは独立。その記念に開いた初コレクションでは大きな評価を得、プロのデザイナーとして揺るぎない地盤を築きます。

その後、業界での知名度は順調に上がり、著名人の顧客も増えた1978年、自分のブランドを“ジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャック社”として設立。会社組織にします。そして、それを機にそれまでのコレクションは全てレディース・ラインでしたが、1980年からはメンズ・ラインも手掛け、今に至るのです。

ポップでグラフィカルなイラストで知られる彼の作品は、ラフで実用性の高いシルエットを特徴とし、アルマーニ同様に流行にはとらわれないという創作姿勢を終始一貫通しています。また、カラフルな色遣いも彼の持ち味として注目されていますが、それはクラシカルでもあるのです。

また、「アンチ・モードの旗手」と呼ばれて久しい彼の作品のすべては、流行に縛られないものであり、それらは堅牢さも手伝い、10年、20年と時が経過しても今様のファッションとして楽しめるのですから、ファッションの魔術師と呼ばれているのも納得です。

カステルバジャックのシンボル「KAMON」はジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャックのイニシャル、JCCを組み合わせたものですが、実はカステルバジャックは宮本武蔵が大好きで、日本の古来の文化も勉強しています。

彼はその過程で自社のシンボルマークが日本の家紋に似ていることに気が付き、そのシンボルを「KAMON(家紋)」と名付けます。

彼は常に「エボリューション」つまり「進化」を口にしています。それは自分がデザイナーとして生きる上に、また、彼の生き様をデザインに生かすために常に“自分の進化”を不可欠とし、必要としているからです。

そして、進化を求めて日々、精進するカステルバジャックの原点は、自分でも言っていますが、6歳という幼少の頃から始まった寄宿舎生活から学んだ哲学に在るのです。

当時は幼かっただけに寂しさもあったとは思いますが、異なる環境の中には日々新しい発見があり、毎日が学びでした。

それは家族以外の人との密な接触があったから、そこから多くのことを自然に学んでいたのです。そして、彼が成人してもその進化の手法はもう身体の一部となっていたのです。

英才教育の一端は“寄宿舎生活”の中にあることを母親は知っていました。ですから、息子を手元から放し、旅をさせたのです。だからカステルバジャックという美術に卓越したデザイナーが生まれ育ったのだと思います。日本でも“可愛い子には旅をさせろ”と言います。

両親の英知ある判断と彼自身の努力、そして、ファッションの世界に囲まれて育ったその環境。それらがカステルバジャックを生み育てたのです。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手した資料、そして、ウィキペディアなどを参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。