モロッコは私が訪れた9年前、当時も政情が不安定でフランスのコートダジュールからスペインを経てレンタカーで入った私と助手は、スペインとの国境で小銃を片手にした兵士に4時間余り拘束されたり、突然、目の前に地図にはない湖や山々が連なる山脈が出現したり。それは蜃気楼だったのですが、山間部に入ると用意していた地図はあてにならなくなったりして。
様々なアクシデントや危険に遭いながらマラケシュやタンジールなどの4つの町を数日間掛けて巡りました。
モロッコ訪問の事のはじめは、南フランスからスペインに入り、取材をすべて終えた午後、イベリア半島の突端、ジブラルタル海峡を前にしたときでした。
その日がとても晴れていたこともあって、海峡のはるか向こうにアフリカ大陸が遠望できたのです。大陸はとても輝いていましたし、海峡を渡ればすぐそこに私が夢にまで見たカスバが広がっている…。そう思ってしまったのです。
その瞬間、フェリーに乗っていたのです。フェリー乗り場のおじいさんに“早くしないと船は出てしまう。海が荒れそうだから、今日最後のフェリーだから。さあ、乗るなら早く乗らないと!”そうせかされたこともあって、気がつくと海峡を渡っていたのです。
モロッコに渡った理由はそれだけだったのです。
ですから、その日がラマダン(断食)の月にあることも知らないで、予定なしに突然、入国した国だったから、様々なアクシデントや大変な思いをしながらも、何とか無事に帰国の途に就くことができたのです。
私たちはスペイン領を出て国境の町セウタからまずは首都のカサブランカへ向かいました。カサブランカまでは204キロ。なんとか夕刻までに到着したいと思いつつ、走り始めましたが。
町を外れると大きな都市の町外れにはこのようなアラビア文字と英語表記の案内標識が立っているのですが、それも束の間、ローカルな道に入ると、案内があっても人目につかないほどに小さな標識ですし、そこに書かれている文字はアラビア文字のみですから、道に不案内な私たちにはなかなか現在位置がつかめません。
ですから、不慮の際にと思って携帯していた磁石を取り出して方向を定める仕事が一つ増え、それでも不確かな方向だったから、迷い迷って山中に入ってしまいました。
夜を迎えた街灯のない山道で行く手を阻まれた私と助手。ガソリンも残り少なくなっていましたので、無駄な動きを止めようと、明るくなる朝を待つことにして、仕方なく夜明けを車中で向かえることになったのです。
空腹でした…。ミネラルウォーターも底をつき、人っ子一人通らない山中での一夜は、言葉では言い表せないほど怖かったけれど、でも、朝方、山並みに響くコーランの音色を耳にしたときには、無宗教の私たちですが、イスラムの世界の目覚め時の神聖さ、美しさ、そして、清らかな瞬間を垣間見たような気がしたのです。
うれしかった…。夜明けの来たことがあの時ほどうれしかったことはありませんでした。山道がしっかり見えることにどれほどの大きな安心感を覚えたかしれませんでした。それは、その地に来るまでの道程があまりにも酷だったからかもしれません。
暗くなった山道の下り坂が砂利道だったことで、また、雨上がりの道だったことでブレーキを踏んだ途端、スリップし、前方の右車輪を柵のない崖に半分落とすという、初めての恐怖の経験をしたからかもしれません。ことさら、明るくなった朝がうれしかったのです…。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)
※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。