「1億総活躍社会」の主要論点


先月26日に安倍政権が提示した「一億総活躍社会」の実現に向けた緊急対策を打つと、(1)希望を生み出す強い経済になって、GDP600兆円が実現する、(2)夢を紡ぐ子育て支援がなされ、希望出生率1.8が実現する、(3)安心につながる社会保障が実施されて介護離職ゼロが実現する、と思ってしまう人は少なくないかもしれない。

しかし、そんなにうまい話はない。もしそんなにうまい話があるならば、とっくの昔に実行され、実現しているはずだからである。

この緊急対策では、財源論に関して、「一億総活躍社会の構築に向けては、真に効果的な施策に重点化した上で、長期的かつ継続的に取り組んでいく必要がある。そのため、安定した恒久財源を確保しつつ、施策の充実を検討していくことが重要である」と書かれている。私にしてみれば、これは何も言っていないに等しい。

具体的な財源論としては、(1)社会保障など高齢者向け予算の大幅削減、(2)消費増税、(3)赤字国債発行の3つがあり得る。このうち最も安易なのは(3)であるが、これはもはや使えないし、使うべきでない。これ以上の“借金”はダメだということで自明だ。

では、(1)と(2)はどうかとなるが、両方とも来年7月の参院選を控えて、政治メッセージとしては非常にしんどい。参院選直前に、そんなどぎついことを書いた報告書が政権与党から出されるとはとても思えない。

大胆な財源論がなければ、この緊急対策に書かれた施策を本気で実現することはできない。それがないから、今回の緊急対策には、将来性が期待できないのだ。  財務相・財務省は、個別予算をこと細かく突き詰めて合理化を求める“会計検査院的な査定”ではなく、「年金」「医療」「公共事業」「農業対策」「エネルギー対策」といったマクロの予算費目ごとに予算枠を縮減する“本来の財務省的な査定”を断行すべきだ。

日本経済社会の再興には、財政配分の大幅修正、つまり固定的な既得権を次世代に移転させていくことが先決であることは言うまでもない。そのためには、財務省だけの切り込みではとても足りない。予算要求官庁側の方が、もっと自分たちの事業に関して『痛み』と『膿』を差し出す必要がある。

それを半ば無理強いするのが、中立的であるはずの総理官邸の役割だ。そうでないと、「一億総活躍」どころか、“一億総壊死”が加速する。

国会議員や官僚の「身を切る改革」も重要ではある。しかし、議員の歳費削減や定数削減、公務員の給与削減や定員削減を、財源捻出を目的に行ったとしても、高が知れている。また、生活保護費や医療・介護費の不正受給の摘発など、個別の事柄をいくら切り込んでも、実際には全然足りない。 あとは、選挙目当ての対策としか思えないものもある。一例を挙げると、低年金者1250万人に対して、1人当たり3万円の給付金を配るというもの。これは、投票率の比較的高い高齢者向けのアメにしか見えない、あまりにも筋悪な施策ではないか。

どんな施策も、文句を言い出したらキリがない。だが、「一億総活躍社会」の実現に向けた対策ならば、交付対象を『低年金者』だけを対象にするのは、(1)『無年金者』(推計110万人以上)との関係、(2)年金受給前の『低所得者』(生活保護受給者だけで210万人以上)との関係で、不公平なのではないか。因みに、低年金者のうち1千万人とは、国民年金受給者の3人に1人程度のことにしかならない。

年明け早々に国会が開かれる予定だが、そこでの今年度補正予算案審議における論戦で政府側の見解が質されるはずだ。

(NPO法人社会保障経済研究所代表 石川 和男 Twitter@kazuo_ishikawa

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。 本稿は筆者の個人的な見解です。