世界でも珍しい陶器専門学校 Scuola di Ceramica in Caltagirone



イタリア・シチリア島に広がるカルタジローネの街の陶器は、紀元前5世紀、ヘレニズム時代に遡るという長い歴史を持っていますが、実際にカルタジローネの陶器として世間に知られるようになるのは、827年のシチリア島を征服したアラブ人により、粘土処理に革新的な技術を導入することを学んだその後でした。

《註:カルタジローネは、カターニアの南西約70㌔、カターニア平野の外れの標高約600㍍の山頂に広がる街ですが、周辺から採掘される土がテラコッタに向く材質であったことから、先史時代から陶器作りが行なわれていました。その後、ギリシャ時代に入ると陶器の生産が盛んになり、9世紀になるとアラブ人によりマヨルカ焼きの技術が導入され、陶器の産地としてその名を周辺国に知られるようになります。もちろん、イタリア国内も同様で、その名を馳せると同時に、マヨルカ焼きの技術はカルタジローネからイタリア各地へと伝わってゆきました》

アラブ人により持ち込まれたマヨルカ焼きの手法をベースにし、カルタジローネの人々は街独自の手法を開発しながら、生産に力を入れ、自分たちの使用するものだけではなく、他所に売れる製品造りに励んだのです。

気がつけば製品は16世紀から17世紀に掛けては、イタリア国内のみならずヨーロッパ全土に知れ渡るほどの評判を得、各地から器だけではなく、教会や宮殿などの建設の依頼が殺到します。

もちろん、陶器を最大限使用しての豪華な建造物の建築依頼でした。その他、付随して花瓶や水ボーロ、彫像などの注文も多々あり、カルタジローネの街はそれら陶器の交易で大きな富を得るのでした。

当然ながら中世のカルタジローネには工房はじめ陶器職人があふれ、活気ある様相を常に呈していました。また、精進を重ね、常に陶器の開発を心掛けていた職人の中には、ボン・ジョバンニ、ジョセフ・ヴァッカロなど数々の賞を受け、世界を股に掛けて活躍する陶芸作家も生まれ、カルタジローネの作家たちはその存在感を広く示しました。

街からは多くの文化人も育ち、輩出されていますが、1918年、この街に画像の“陶器学校Scuola di Ceramica”(現在、学校は陶器研究所となっています)を創ったドン・ルイジ・ストゥルツォもその一人ですが、彼は1900年代初頭に“イタリア人民党”を設立し、イタリアの政治界に影響力を与えた政治家でした。

《註:イタリア人民党 Partito Popolare Italiano略称PPIは、イタリアに存在したキリスト教民主主義政党で、党名は第一次世界大戦後、ベニート・ムッソリーニのファシスト党が一党独裁制を確立するまで存在したカトリック政党のことを指します》

カルタジローネは様々な意味で、イタリアという国に影響力を持ち、シシリー島にあっては周辺の町や村から常に羨望の的だったという誉れある歴史を持っています。

その自信に満ちあふれた街は、今なお多くの街や村に影響を与え、この街を訪れし者たちとその歓びを分かち合っているのです。

それが夏のルミナリエであり、初夏の花祭りであり、クリスマス・イベントでもあるのです。

《註:7月と8月の各2日計4日間、夜になると142段の大階段にイルミネーションが飾られます。

その4日間の中でも注視したいのは7月25日です。当日はカルタジローネの町の守護聖人のお祭り「サン・ジャコモ祭」と重なることで、近郊の町や村からも人々が押し寄せ大にぎわい。夕暮れになると中世の衣装をつけた人々と馬車の行列が街を練り歩き、夜の9時半には階段にイルミネーションが点灯され、祭りは最高潮に達します》

ちなみに現在イタリアにはいくつかの陶器専門学校が開設されていますが、そのなかで人気の高さを誇るのがペルージャにある陶芸のインターナショナルスクール「ロマーノラニエリ」です。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。