アルキメデスの世界に遊ぶ in Siracusa,Italy



イタリア・シチリア島シラクーサ出身の著名人の中で、街が最も自慢する人物の一人が自然哲学者の“アルキメデスArchimedes”です。

彼は紀元前287年にシラクーサで生まれ、紀元前212年頃、75歳前後でシラクーサで生涯を終えていますが、物心つく頃から様々な分野での研究をし、気がつけばいつしか彼は古代ギリシアの数学者として、また、物理学者、技術者、発明家、天文学者などの分野であまりある才能を見せ、マルチ人間としてその名を馳せていたのです。

そんな風に古代にあっては第一級の科学者として生きたアルキメデスですが、それも半端な科学者ではなく、それ以前はもちろんのこと、それ以降も彼より優れた科学者はシシリー島のみならず、イタリアにあっても輩出されることはなく、長い間、科学者としてトップの座を譲ることはありませんでした。

もちろん、あの体積と密度の関係を解明し“アルキメデスの原理”を発見したのですから、当時のシラクーサの僭主ヒエロン2世は大喜びでしたし、その発見は物理学にもたらした革新として大きな評価を得ました。

その他、放物線の面積を求める方法や、円周率の近似値計算方法、回転面(en)の体積の求め方なども考案しますが、注視したいのはその他に趣味が高じて、なんと数々の武器を発明・考案したことです。

当時、あまりにも多技に渡る彼の才能に誰もが驚いたとようですが、より驚いたのは武器製造方面の才能が優れていたことで、その後、実際に第二次ポエニ戦争では、ローマによる町への包囲網を解くための軍事兵器も発明し、その武器の威力で数年間シラクーサ軍は敵と対等に戦うことができ、ローマ軍から街を死守することができた、という快挙も成したのです。

でも、残念なことにその戦いを最終的な勝利に導くことはできませんでした。なぜなら、ローマ軍の兵士の数はシラクーサの兵士とは桁違い。敵はアルキメデスが発明した武器の活躍で一旦は引き下がるものの、日を置いて次から次へと攻め込み、万端使い果たしたシラクーサ軍は力尽き、紀元前212年、残念ながら陥落してしまいます。

そして、落城の際、敵軍のローマの将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスは、優れた科学者アルキメデスに関心を示し、囚われとなった身であるが殺さぬよう、と部下に厳命していたのですが、一般の囚人と同じ牢獄に居たことで区別がつかず部下により処刑されてしまうのです。

《註:アルキメデスの原理と同じく彼が発明したアルキメディアン・スクリューは誰もが知る有名な発明です。そのスクリューは現在も使用されている優れた物で、効率的な揚水に威力を発揮し、工学分野におけるアルキメデスの業績として今なお賞賛されています》

下記はウィキペディアからのアルキメディアン・スクリューについての記事の引用です。参考になさって下さい。

「アルキメディアン・スクリューは効率的な揚水に威力を発揮する。 工学分野におけるアルキメデスの業績には、彼の生誕地であるシラクサに関連する。ギリシア人著述家のアテナイオスが残した記録によると、ヒエロン2世はアルキメデスに観光、運輸、そして海戦用の巨大な船「シュラコシア号」(en)の設計を依頼したという。シュラコシア号は古代ギリシア・ローマ時代を通じて建造された最大の船で、アテナイオスによれば搭乗員数600、船内に庭園やギュムナシオン、さらには女神アプロディーテーの神殿まで備えていた。この規模の船になると浸水も無視できなくなるため、アルキメデスはアルキメディアン・スクリューと名づけられた装置を考案し、溜まった水を掻き出す工夫を施した。これは、円筒の内部にらせん状の板を設けた構造で、これを回転させると低い位置にある水を汲み上げ、上に持ち上げることができる。ウィトルウィウスは、この機構はバビロンの空中庭園を灌漑するためにも使われたと伝える。現代では、このスクリューは液体だけでなく石炭の粒など固体を搬送する手段にも応用されている」

ちなみに彼が数学者として、また、物理学者、技術者、発明家、天文学者として活躍したのは、今から2200年も前なのです。その彼が発明したアルキメディアン・スクリューは今でも搬送の手段として使用され続けているのです。すごいことです。

画像はオルティジア島の北側に設けられた遊歩道の一角に設けられたテラスです。テラスの向こう側には、イタリア本土が確認できますし、近くにはパピレスが自生する泉や州立博物館、中世の教会などが軒を連ね、風情ある佇まいを見せています。

《註:これら歴史や年代、人となりは各街の観光局のサイトやウィキペディア、取材時に入手したその他の資料を参考にさせて頂いています。ご了承くださいませ》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。