小さなコーヒーハウスから始まった保険組合“ロイズ” Lloyd's Building in London



シティ・オブ・ロンドンの中心周辺は、“イングランド銀行”や“王立取引所”そして、歴史ある教会などが林立し、趣きある様相を見せていますが、その中にあって一際目立つこの超モダンなビルは、かの有名なロイズ保険組合の「ロイズ本社ビル」Lloyd's Buildingです。

完成当時は歴史的建造物が軒を連ねるシティ界隈に合わなく、また、異様な建造物だとミスマッチを訴える市民も多く、集中非難を浴びたのですが、時の経過に比例するように非難が消えてゆき、今はシティのランドマークとして、堂々とした構えで建っています。

設計は建築家リチャード・ロジャース卿(Richard George Rogers)です。彼は1933年7月23日、フィレンツェに生まれ、ロンドンの建築学校である英国建築協会付属建築専門大学で学び、1959年、アメリカへ留学します。そして、イェール大学大学院を卒業して1962年に帰国。その後はモダニズム建築をベースにしたこのような斬新なハイテク建築でヨーロッパを主に活躍します。

また、彼の偉業を讃え、世襲ではなく、一代限りの貴族に叙されたことで、“リバーサイド男爵”の爵位をもち、その流れのなかで貴族院議員の資格も持ち合わせています。

リチャード・ロジャース卿は1977年、レンゾ・ピアノと組んでパリのポンピドー・センターを設計したことから、世界中にその名を知られるようになります。そして、それを機に彼の設計は常に奇抜さと機能的なデザインを特徴としていることは誰もが周知するようになるのですが、当時、それは決して、拍手喝さいを浴びる類のものではなかったです。

このビルもパリのポンピドー・センターと相似し、階段や配管のパイプ、ダクト、昇降機などが建物の外側にむき出しになったデザインです。

1986年の完成時には、ポンピドー・センター同様にその奇抜なデザインを施した外観に、大きな反響と共に多くの人の批判を浴びました。

でも、今はシティのランドマークとして、また、シティにはなくてはならない建造物として、ここに凛として建っているのです。

《註》英ロイズ保険組合の本社ビルは、2013年7月、中国平安保険集団に2億6000万ポンド(約390億円)で買収されました。中国の保険会社は投資規制の緩和を受けて海外不動産への投資を増やす方針とされ、ロイズの案件が皮切りになるだろうと見られています。かつてのバブル期の日本を見るようです。

『コーヒーハウスから始まったロイズ保険組合の歴史』

このビルが建つ約300年ほど前の1688年頃、エドワード・ロイドはロンドンのシティ近くにコーヒーハウスを開きました。数少ないコーヒー・ハウスでしたから、物珍しさもあったのでしょう、ロイドの店には開店してから毎日、商人や船員たちが一服の休息を楽しむために三々五々、集まるようになります。

そして、お客さん同士会話を交わすことが多くなったある日、ロイドは彼らの会話を聞いている内に、彼らがもっとも必要としているのが海事ニュースと知り、彼はすかさずお客さんへのサービスとして海事ニュースを提供したのです。

もちろん、それは他意はなく、純粋にサービスとして提したのですが、世界の様々な情報が入手できるとあって、いつしか店に保険業者たちが集まり始め、保険引受業者の取引場所と化してゆきました。

そういう事情で店は常に人であふれかえっていましたが、保険業者たちの仕事場となった彼のコーヒーハウスは、必要不可欠なものになっていたのです。

ですから、店主のロイズの死去後も保険業者たちが資金を出し合って人を雇い、コーヒーハウスを存続し、ロイズの死去後にはコーヒー店ではなく、取引所専門の場所として、内外にその存在を知らしめました。

そして、取引所専門所として名前を改名しようと、保険業者たちで相談し合うものの、当初、コーヒーハウスでしたが、実質的には取引所の場所を提供してくれたのはロイド氏です。その賛助行為には感謝しきれないものがあるとした保険業者たちは、保険取引所となったコーヒーハウスを改めて“ロイズ”と命名し、彼に敬意を表したのです。

そして、保険組合も彼の名前を冠し『ロイズ保険組合』と命名したのです。

小さな一軒のコーヒー店から始まった保険取引市場は、20世紀後半、ロンドンの金融街シティの中心にそびえ立つハイテクビルディングを建立するまでに大きく発展しました。

小さな一軒のコーヒーハウスが世界中にその名を知られる世界随一の大きな保険組合になったのです。

それはロイズ氏が持つ資質が英知となり、お客さんのニーズに合った海事ニュース提供のヒントを得、その後、多くの人たちの努力でロイズはロンドンだけではなく、世界に羽ばたくロイズ保険組合となり、その栄光の象徴として今、このハイテックな本社ビルが私たちの前に在るのです。

ロイズ氏の残した遺産は、今もなお光り輝き、英国民の誇りとなってここに在ります。

事故等の発生を報せる役割を果たした鐘として大切に保存されています。

そして、1912年4月15日、米国マサチュセッツ州ボストンの東1,610km、セントジョーンズ沖で、あの不沈の船と呼ばれていた豪華客船タイタニック号が沈没の際も、その鐘は鳴らされました。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。