ロンドン最古、いいえ、英国で最古のチーズ専門店と言われるパクストン&ウィットフィールド Paxton and Whitfield の起源は、下町にあるオールドウィッチ市場で1742年に、露天商を開いたことに遡ります。
オールドウィッチ市場ではチーズを主に販売したのですが、当時のロンドン市民にとってはまだ珍しい食料品だったということと、ビタミンやカルシウム源として貴重でしたから店は繁盛し、数少ないチーズ専門としてあっという間にロンドン中に広まりました。
数年後、その評判を聞きつけたパークホテルを所有する起業家アンドリュー Brownsword から提携したいという申し出があり、ホテル内にも店舗を開きます。
それからというもの、順調に売り上げを伸ばし、ロンドン近郊の街バースとストラトフォードアポンエイボンストラトフォードにも開店。
そして、ここ(画像のショップ)、ロンドンの中心部に建つホテル・リッツの裏手、ジャーミン・ストリート93番地(Jermyn Street)に、1797年、店舗を開きます。日本では11代将軍徳川家斉の時代です。
ロンドンの新店舗も順調に売り上げを伸ばし、その名も国内に馳せるほどになるのですが、開店して30年ほど経過した1825年、英国内に過剰生産恐慌の発生という金融危機に見舞われます。
同時にヨーロッパ中にその威力を見せた産業革命は一応の終了を見、英国経済はそれまでの勢いが急速に衰え、市場は意気消沈。それでも時代の変化には逆らえず、以後、本主義の時代へと移行してゆくのです。
でも、それはそれまでの好景気とは異なり、新たな世界への過渡期であったことで、不安材料が多く、英国の株式市場は暴落。庶民の生活水準は著しく低下します。
結局、英国は自力でその危機からは逃れらず、イングランド銀行がフランスから大規模な救済を受け、何とか崩壊を食い止めるのですが、英国経済が大きなダメージを受けたことで、多くの企業や店が倒産、あるいは閉店という憂き目に遭うのです。
でも、ここパクストン&ホイットフィールドは、踏ん張りました。一過性のものであることを知っていましたから、歯を食いしばって頑張ったのです。ですから、恐慌という嵐の真っただ中にいても倒れることはせず、強風に飛ばされることなく、売り上げこそ減少するのものの、細々ではありましたがチーズの販売だけは続けていたのです。
この踏ん張りが功を奏します。継続は力なり。それを実践した踏ん張りで店は辛うじて残り、今や英国最古の歴史を誇るチーズ専門店という誇りある店となり、伝統に培われたその味の素晴らしさが認められ、1850年には何とヴィクトリア女王から王室御用達に指定されてもいるのです。
今なお創業時のままに建つ店内には、選び抜かれた世界のチーズが、150~200種類も所狭しと並びますが、その中の英国産チーズが置かれている棚周辺には、いつだって多くの買い物客でにぎわいを見せているのです。
なぜだかお分かりですか?
“英国産チーズだけは大量生産を行わない小規模の生産者からのチーズのみを扱う”
という創業以来の信条があるのですが、今もそれは守られ、コッツウォルズにあるウェアハウスからロンドンまで運ばれたその“小規模の生産者の厳選チーズ”を地階にあるセラーで熟成させ、常に食べごろを店頭のこの棚に並べているからなのです。
それゆえに、プロの料理家や著名人たちの多くを顧客に迎え、信頼あるチーズ専門店として、200年以上人気を集めているのです。
そして、ここはかつて、元首相ウィンストン・チャーチルをして
“真の紳士はパクストン&ウィットフィールドでチーズを買う”
そう言わしめた伝説の店でもあるのです。
ロンドンという街にはこのように中世からの伝統をしっかり守る伝統の素晴らしいショップが点在しています。王室御用達店もそのひとつですし、チャールズ皇太子が選んだ隠れパブも、そして、伝統の味を守り抜くここパクストン&ホイットフィールドもそのひとつです。
ロンドンを訪れたその時、パクストン&ウィットフィールドで、厳選された英国産手造りチーズのオーガニックなその味と伝統という英国の誇りを常に絶やさない熟成した文化の香りを味わって下さい。
ロンドンという街を良く知るためにも、そして、古都ロンドンの味を想い出として持ち帰るためにも、是非、ロンドンの味の世界に旅をなさってください。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)
※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。