「電力会社は原子力規制委員会に言われっぱなしはダメ」と、原子力規制委員長が電力会社社長に語っているのだが・・・


東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけとして、国内の全ての原発では再稼働の見通しが立っていない。原発の代わりに火力発電量を増やしてきたが、そのための火力発電用の追加燃料費が嵩み続けている。これまで電力7社がやむなく料金値上げを実施してきたが、このうち、北海道電力は2回目の値上げを既に実施し、関西電力は2回目の値上げに係る認可申請を行っているところだ。

その北海道電力と関西電力。今年に入ってから、両社の社長と、原子力規制委員会の田中俊一委員長ほか委員の間で、意見交換の場が持たれた。規制委として、安全文化醸成を始めとした安全性向上に関する取組について、主要な原子力事業者と意見交換を行うという趣旨だ。

原発再稼働の可否は電力会社の経営を左右するわけだが、今は事実上、規制委(とその事務局である原子力規制庁)がその生殺与奪を握っている。しかし、規制基準に係る審査などが遅々として進んでいないため、再稼働させるにしても、廃炉させるにしても、いわば膠着状態に陥っている。

そういう状況下での規制委と電力会社トップの意見交換。どのような会話が交わされたのだろうか?その時の議事録は公開されている。かなり長いのだが、全文を読んでみた。議事録の字を追っていくと、穏やかで紳士的な会話が交わされている。しかし、その内容をよくよく精査してみると、規制委側からの発言に不可解なものが散見される。いくつかの発言部分を例示として抜粋すると、次の通り。

1月13日:対関西電力
○更田委員長代理(議事録のp12)
・・・技術的議論に時間がかかることは全く当方にとって迷惑ではありませんので、むしろ場外乱闘よりも、是非、公開の審査会合でどんどん意見を言っていただいて、私たちは何も急いではいませんので、全く迷惑ということはありませんので、審査会合でどんどん議論をしていただければと思います。

○田中委員長(議事録のp23)
・・・きちんと議論を積極的にやっていただいて、やはり安全のレベルを上げるということについては・・・是非積極的に、言いたいことを腹に抱えるのは一番よくないので、直接言っていただくのは我々としては一番受け止めやすいものですから、そういう点でよろしくお願いしたいと思います。

1月28日:対北海道電力
○更田委員長代理(議事録のp23)
・・・ともすれば、早く終わらせたいために「相手の言うことを飲んでしまえ」という。これが安全文化としては非常によろしくない点であって、安全性の向上をそいできたものもある。

必ずしも技術的には規制当局の言うことが常に正しいとは限らないという。先ほど社長がおっしゃいましたけれども、現場を最もよく知っているという、言い換えれば、弱点も一番よく知っているのは自社の方々ですので、規制当局がおかしなことを言ったら、これ、大分言っていただけるようになったのではないかと思ってはいるのですけれど、是非。・・・

○田中委員長(議事録のp24)
・・・私がちょっと離れて見ていますと、やはり論点がかみ合わないところが時間がかかっているように思いますので、それは率直に議論してしまうということが一番だと思います。そこが整理されれば案外早くいくのにと思うこともありますので、そういう点で言われっぱなしになる必要は全くありませんので、是非そういう点で努力していただければと思います。

以上はほんの一例だ。これらの発言部分について、前後の文脈からしても、何らおかしなものではない。規制する側(規制委・規制庁)と規制される側(電力会社など)の関係を対等にしようと、規制委の先生方が語りかけているように解される。

だが、規制委・規制庁が発足してから今までの2年あまり、規制委・規制庁と電力会社のやり取りを逐一見てきた筆者は、一瞬絶句してしまった。「電力会社は原子力規制委員会に言われっぱなしはダメ」と、原子力規制委員長が電力会社社長に語っているのだが、実際はその逆である。

規制する側(役所)に身を置いていた経験のある筆者の眼には、規制委・規制庁はこれまで電力会社に対して、かなり酷い仕打ちをしてきたように映る。原発事故後ということもあって、電力会社はただでさえ萎縮している。そうでなくとも、規制される側(電力会社)は、規制する側(規制委・規制庁)の一挙手一投足に一喜一憂する。規制される側にとっては、規制する側の一言一言は、自分たちの運命を左右する。

規制委・規制庁の先生方やお役人たちは、自分たちがそうした“特権”を纏っていることを全く認識していないのだろうか。自分たちがこれまで言ってきたことをすっかり忘れてしまったのか。

例えば、昨年3月14日付け読売新聞では、九州電力川内原発に対する規制委・規制庁の審査について、『九電が、カギとなる最大の地震の揺れ(基準地震動)の審査をクリアできたのも、「すべてに反論していたら再稼働が遅くなる」(幹部)と、規制委の意向に沿って最大の地震の揺れ(加速度)を540ガルから620ガルに引き上げたためだ。九電幹部は今月5日の審査会合で引き上げの根拠について「ある意味、エイヤっと大きくした部分もある」と話した』と報じられている。

また、昨年4月25日付け電気新聞では、関西電力大飯原発・高浜原発に対する規制委・規制庁の審査について、『断層上端深さは決定的な判断材料がない。様々なデータから類推するしかないのが実態だが、地震波(P波)速度構造が毎秒6キロメートルの硬い層が上端とする見方が多い。だが、文献によっては毎秒5.8キロメートルという説もある。関電はその後の審査会合で毎秒5.8キロメートルの層が深さ3.3キロメートルにあると説明。4キロメートルから3.3キロメートルへの見直しも「清水の舞台から飛び降りる覚悟」(別の幹部)だった』と報じられている。

以上も一握りの例でしかない。

上述の規制委・規制庁と電力会社トップの意見交換の場で規制委の先生方が語っている内容と、上述の新聞記事で書かれている規制委・規制庁への電力会社の“服従”の姿は、明らかに整合性が取れていない。両者は対等な関係ではない。支配と服従である。これは、産業保安規制の実務として、明らかに不適格だ。

今秋までに原子力規制の改革が行われることになっている。その際、規制する側(規制委・規制庁)と規制される側(電力会社など)の関係は対等であることを、原子力規制改革の基本理念として掲げるべきだ。そして、両者の持つ科学的・技術的知見を公開の場で披露し合うことで、規制基準への適否の判断根拠を透明化していくようにする必要がある。それにより、日本の原子力規制が、国内のみならず国際的にも信頼を獲得していけるようになると確信する。

(NPO法人社会保障経済研究所代表 石川 和男 Twitter@kazuo_ishikawa

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。 本稿は筆者の個人的な見解です。