デザイナーと武家社会をつなぐもの「家紋」(後編)



平安時代の終わりに武士は自らが治めていた土地の名前を名字(苗字)とし同じ名字の一族と区別するために「家紋」を掲げたといわれている。家紋は名字や身分、職業などを限られた情報量で表現しており、そのデザインは現代のロゴやアイコンのデザインに通ずるものがある。前編に記載した家紋の概要に引き続き、後編では有名な歴史上の人物の家紋を紹介していく。

【北条義時】
北条氏の紋として後世にも使われ続ける三つ鱗紋。義時の父である北条時政が一族の繁栄を祈った際に大蛇が現れ三枚の鱗を残したことからこの図形になっている。どこまで拡大や縮小しても同じ図形になる自己相似のフラクタルな図形になっており、そのフラクタルの無限性が一族の繁栄を表している…というのは深読みしすぎだろうか。

【武田信玄】
武田菱とも呼ばれる有名な割り菱紋で、武田の田の字を鋭くしたものとも言われている。また武田氏の女性は花型である花菱を使用していたという。このように使用者や使用シーン、使用媒体などでデザインを変えるということは現代にも転用できる技法であろう。

【大内義隆】
祖先に渡来人を持つことから唐風にあしらわれた花菱。唐風模様と花菱という異なる二つの要素をバランスよく組み合わせており美しく仕上がっている。

【徳川家康】
水戸黄門の印籠としても有名な葵紋。もとは京都加茂神社の紋であり、信者たちの間で家紋として使用されるようになり、家康の祖先がその信者だったことから使用されているとも言われている。家康は天皇より菊紋と桐紋を下賜されるところ足利家が使用していた古くさい紋として辞退している。この辞退がなければ水戸黄門の印籠の紋も違っていたかもしれない。

【黒田孝高】
ただの黒い丸である黒餅紋。「こくもち」と呼ばれるこの紋は「石持ち」とも聞き取れ縁起がいいとされた。単純な黒丸だが他の細かな紋と並べると逆に目新しさを感じる。現代でも凝りすぎて飽和したデザイン群の中でシンプルが際立つことはよくあることである。

上記の他にも美しくよく考えられた紋が数多く存在する。西洋にも紋章はあるが王や貴族だけのものであり、日本の家紋ほど多くは存在しない。古くから日本人はロゴやアイコンのデザインに通ずる数多くの家紋デザインを行い、また日常的に見てきている。ルイ・ヴィトンが日本の家紋をヒントにモノグラムを生み出したということもあり、この分野は世界市場において日本人デザイナーが得意とするところなのかもしれない。

(Betonacox Design)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。