西のエルサレム・ダイヤモンドの街 Antwerpen in Belgium



アントワープの中央駅の東側一帯にはヨーロッパ一とも言われる大きな正統派ユダヤ人のコミュニティが広がっています。1456年、この街に住むユダヤ系ベルギー人のローデウィク・ファン・ベルケン(Lodewyk van Berken)がダイヤモンド研磨用の円盤(Scaif)を発明したことで、街にはユダヤ人のダイヤモンドカット職人が集まるようになり、この一角に新たにユダヤ人の世界を構築したのをきっかけとしたものでした。

それまでもユダヤ人の居住区はあったのですが、研磨用の円盤が完成してからというもの、アントワープはダイヤモンド産業でますます栄え、その功労者たちでユダヤ人社会は一気に膨らんだのです。そして、今見るような一大コミュニティを形成していったのです。

広大なエリアにはシナゴーグはじめユダヤ人学校、ユダヤ人専門のスーパーマーケット、ユダヤ人のためのレストランなどが点在し、居住区内には日々の暮らしに困らない様々な施設が設けられています。そして、今現在、約2万人のユダヤ人が居住し、彼らのコミュニティはヨーロッパ一の規模を誇っています。

また、中世から近代に於いては、ユダヤ人はダイヤモンド貿易において重要な役割を果たしていましたから、当時はアントワープ市民が羨むほどの裕福な生活をしていたと伝えられます。

その後、インドのビジネスマンによってダイヤモンド貿易の多くを取って代わられたことで、現在は裕福に暮らす人の数は少なくなっていますが、でも、彼らは商才に長けています。日々の精進を怠らないことで、今も何不自由のない生活を楽しんでいるのです。

中世半ばにはアントワープだけではなく、ヨーロッパ一帯にユダヤ人コミュニティがありました。でも、周辺の人々との共存が難しく、孤立したところが多い中、このアントワープではダイヤモンドの世界では彼らユダヤ人なしでは考えられないこともあって、街の人々の信頼は厚く、また、街の発展に一役買っている彼らは常に市民と肩を並べ、同等で暮らしています。

ですから、ヨーロッパ各国のユダヤ人たちは、中世末期にはユダヤ人追放という憂き目に遭う人たちも多かったのですが、このアントワープでは地元民との繋がりが深いことから追放どころではなく、常に一体となってダイヤモンド産業の興隆を図ってきたのです。

ユダヤ人の商才の素晴らしさは、当時から特筆すべきものがあり、ここアントワープにあってもそれはいかんなく発揮され、いつしかダイヤモンド研磨職人ユダヤ人ということだけではなく、彼らによってヨーロッパの国々とのダイヤモンドの取引が始まるや否や、その中心的な存在となっていったのです。

その後も彼らの素晴らしい商才と研磨技術でアントワープの街は、ダイヤモンドカットと研磨の世界では存在感を強め、ヨーロッパだけではなく、世界中の注目を集めるようになるのです。

また、今現在も彼らの活躍は衰えることはありません。その証しに今や「西のエルサレム」と呼ばれるほどの規模を誇るユダヤ人街となり、日々、各国からやって来る商人や観光客でもにぎわいを見せるのです。

ユダヤ人はアントワープの栄光の歴史に於いては、必要不可欠な存在であったことは言うまでもなく、また、今現在にあってもユダヤ人たちは無くてはならない存在なのです。

そして、中央駅東側周辺にはユダヤ教徒のためのユダヤ教会シナゴーク、ユダヤ人のためのレストラン、スーパーマーケットなどが軒を連ね、西のエルサレムとしての誇りある景観を見せながら、故国イスラエルに思いを馳せる憂いある情景を見せています。

ここではキパという帽子をかぶったつぶらな瞳の子供たちが笑顔でサッカーに興じる場を目の辺りにでき、彼ら民族の安息の場がここにあることを教えてくれるのです。

画像は中央駅の東側に広がるコミュニティ内に建つシナゴークです。ここでは決して戦争という非情な世界を見ることはありません。

穏やかで平和な時間が流れていました。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。