王室御用達 “ウェッジウッド” Wedgwood in London



ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)は、ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大級の陶磁器メーカーであり、1765年にはジョージ3世の妻であったシャーロット王妃に認められ、「クイーンズウェア(女王の陶器、Queen's Ware)」という名称の使用が許可されます。それは陶磁器の世界で最初の王室御用達ブランドになったこと証明するもので、その頃から既にウェッジウッドの製品は、卓越した素晴らしさを見せていたのです。

創業者はジョサイア・ウェッジウッド。彼は28歳の時、陶器専門「ウェッジウッド」を創業しますが、でも、単なる創業者ではなく、後に英国陶芸の父と称され、窯の中の高温を測るパイロメーター(高温測定計)を発明したりして、王立協会会員にも選ばれた科学者としての一面も持つ才能ある人物でした。

ジョサイア・ウェッジウッドは1730年、イングランドスタフォードシャ州ストーク・オン・トレントのバーズレムで代々作陶に携わってきた陶器職人の家に生まれました。裕福ではありませんでしたが、教育熱心な家族に囲まれて幸せな幼少時代を過ごします。

でも、彼が9歳(1737年)のとき、父親が亡くなったことでそれまでの生活が一変します。人出不足を補うために、家業のチャーチヤード工房(Churchyard Works)の跡を継いだ兄トーマス(Thomas)の元で陶芸を学び始めることになったからです。

その時はやむなき事情あってのことでしたから、仕方なく陶器を学んではいたものの、子供ですから、友達と一緒に外で遊びたくて仕方なかったのですが…。

神様はそんな子供に追い打ちをかけるように、大きな試練を与えました。

そうなのです。ジョサイアは天然痘にかかり右足が不自由になってしまうのです。

まだ11歳という子供でした。外で遊ぶことも出来なくなり、部屋に閉じこもって苦しみ悩みもしました。でも、神様は試練を与えたのではなく、ジョサイアに陶器の世界を見直す機会を与えたのかもしれません。

片足が不自由になったことで、自由に動くことができなくなった彼は、目の前に在る世界をじっくり見つめ直す機会を得たのです。

その結果、ジョサイアは義務感ではなく、少しずつ陶器の魅力に惹かれ始め、それを機にして陶器に関する調査と研究を始めることを決したのです。

それは健常者には戻れないハンディを背負ったことで、彼をハングリーにし、元来、研究好きだったことも手伝って、陶器に関する調査と研究をライフワークにするという決心の元でのスタートでした。

まだ11歳という子供でしたが、彼は決心したその日から、製陶技術や化学、図版などの知識を懸命に学びました。健常者だった過日を振り返ることなく、雨の日も風の日も頑張りました。そして、研究に一定の成果を得た1770年、14歳になったその日から机上での学びを減らし、実際に土を手にして陶器造りを始めます。

それから14年の歳月を経た1759年、28歳の彼は今度は父親と同じ陶器製造の世界で生涯生きることを決心し、「ウェッジウッド社」を創立するのです。

その4年後、長年の研究を実らせ、ウェッジウッド社の最初の顔となる硬質陶器クリームウェアを完成させたのです。

1766年、クリームウェアの素晴らしさに魅了された国王ジョージ3世の妻シャーロット王妃は、王室御用達の陶工(Potter to Her Majesty)としてウェッジウッド社を認め「クィーンズウェア」と命名することを許します。

でも、良いことばかりは続きません。

1768年、天然痘で痛めた右足が悪化し、今度は膝下を切断という悲しい運命が待っていました。

しかし、ジョサイアはめげませんでした。11歳の時、足が不自由になったその時と同じように、禍を福に転じさせようと必死に考えました。それは片足切断という大きな痛みに代わるものではいけなかったし、痛みを受け入れる代わりに何かを得なければ、とも思って必死に考えました。

そして、彼はあの時と同じように研究に没頭しようと決心をします。

好きな研究に身を託せば、悲しみも少しは癒されるだろうという思いとは別に、それまでずっと研究したいことのいくつかが頭の片隅に常にあったのですが、事業片手にできるほど、楽な仕事ではなく半ばあきらめていたから、そして、その中のひとつは、研究の結果、自社で新製品として世の中に送り出したいものだったから。それも今まで誰もが挑戦したことのないとんでもなく大きな世界だったから…。

ですから、足を切断したその年、彼は再び研究室に閉じこもって自分の夢に向かって歩み始めたのです。

そして、片足切断から以降、6年もの間、研究に没頭し、試行錯誤したその結果…。

1774年でした、ついに磁器に近いストーンウェア(炻器)を下地にした「ジャスパーウェア」を完成させたのです。

それはデザインでも斬新さを謳ったもので、カメオやガラスなど古代ギリシャ、古代ローマ美術の形状や装飾をモティーフとした、その古典主義的なスタイルは一世を風靡しただけではなく、フランスをはじめ、ドイツ、イタリア、スペインなどヨーロッパの当時ロココ調デザインを主流としていた陶器の世界を一変させてしまうのです。

そして、それは各国の既存の窯元を衰退させたとも伝えられるほど、偉大なる発明になり、今なおその名声は世界中に轟き渡っているのです。

1783年 王立協会会員にも選ばれ、科学者として認められたジョサイアでしたが、1795年、64歳で天国へと旅立ってゆきました。

彼の陶磁器に賭けた生き様は、壮絶でした。

常に調査と研究を元にした科学的な見地から製品を編み出してきた創業者ジョサイア…。

人生の大半をウェッジウッド社に賭けたと言っても過言ではありませんし、あの夢の陶磁器「ジャスパーウェア」を6年もの間、部屋に閉じこもって完成させたのです。

偉大なる科学者でした。

でも、一人の英国人の人生を賭けたそのウェッジウッド社は2009年、経営破綻に陥り、同年3月からキャピタルパートナーズ社が親会社となり再建を目指している最中です。

これが現実です…。

磁器を製作する際の融剤として長石の替わりに、リン酸カルシウムを含む牛骨を使ったボーンチャイナの生産を試みたのは、息子のジョサイア・ウェッジウッド2世でした。こちらも一世を風靡し、今なお、そのボーンチャイナの存在感は陶磁器の世界では大きく、各ブランドがもっとも力を入れて製造する製品のひとつとなっています。

また余談ですが、ウェッジウッドの娘スザンナは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの母でした。つまり、ダーウィンはジョサイアの孫に当たります。

また、ダーウィンの妻となったエマ・ウェッジウッドはウェッジウッド2世の娘ですが、ダーウィンの父方の祖父であるエラズマス・ダーウィンは、ジョサイア・ウェッジウッドの主治医で友人だったそうです。

巡り巡る縁って不思議ですね…。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。