こだわりから生みだしたバーバリー・コート Burberry in England



世界中の誰もが知る英国御用達の高級ブランド、バーバリー(Burberry)。トレンチコートの代名詞にもなるようなバーバリーのコートは、あまりにも有名ですね。

1835年、英国のサリー州ブロッカムグリーンに生まれた創業者トーマス・バーバリー(Thomas Burberry)は、地元の生地屋で見習いとして働いた後、農夫やスポーツマンのための上着を縫製し、1856年、ロンドン西南のベイジングストークで店舗を開きます。

1870年、まだ21歳という若さでの起業でしたし、小さな店舗でしたが縫製の腕が確かだったことと徹底した品質のこだわりにより、開店早々からバーバリーの店は繁盛します。

そして、雨のある日、農民が汚れや雨を防ぐために服の上に羽織っていた自社の上着を見たとき、そのあまりの汚れのひどさと雨水でよれよれになっていたことにショックを受けたバーバリーは、雨や汚れに強い布地を作ろうと決心をするのです。

その頃は既に布の材質には精通していたバーバリーでしたから、完成させるまでの時間を短縮するためもあって、既存の布を使って、それに改良を重ねるしか手段はないと判断し、自分の作る製品を糸の段階から試行し、連日、水と汚れとの戦いを繰り返します。

そして、1881年、織る前の綿糸に独自の防水加工を施し、織り上げて布になってから再度、2回目の防水加工を行うことで、耐久性と防水性に優れた新素材「ギャバジン」を開発するのです。

シェークスピアの戯曲“テンペスト”に登場するキャリバンの上着の描写にちなんで命名された“ギャバジン”は、1888年に特許を取得。その後、バーバリーは1917年までその製造権を独占します。

ギャバジンのおかげで売り上げと知名度を上げたバーバリーは、1891年、ロンドンのヘイマーケット30番地に“Thomas Burberry & Sons”の本社兼店舗を開きます。

ロンドンの街の中心に進出したバーバリーは、ますます繁盛を続け、また、1895年のボーア戦争の際にはトレンチコートの前身となる英国人士官用のタイロッケン(ひもでロックするという意味)というコートを製造して英国陸海軍に正式採用されます。

そして、その大戦中に50万着以上の発注を受けたことで、1919年、ジョージ5世から念願のコート・ジャケット部門の英国王室御用達(ロイヤルワラント)を受けるのです。

また、その5年後、コートの裏地として使用されていた「バーバリー・チェック」を前面に出し、製品の表地として使用したことで、今度は世界を相手にバーバリー・チェックの一大ブームを起こしたのです。

順調に確実に躍進を続けるバーバリーの商品です。1955年にはエリザベス2世から、また、近年の1989年にはチャールズ皇太子からコート・ジャケット部門のロイヤルワラントを授かり、王室御用達の高級ブランドとしてコート・ジャケット部門での王座を守り続けているのです。

名画「カサブランカ」の中でハンフリー・ボガードがトレンチコートを着たことが、バーバリーの名を世界に馳せた最初の出来事でした。その他、バーバリーのコートは、首相だったウインストン・チャーチルやアメリカの元大統領のジョージ・ブッシュ、そして、「シャーロック・ホームズ」シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られる作家コナン・ドイルなど、世界中の著名人やセレブリティが愛用した、また、愛用するブランド・コートでも知られます。

バーバリー自身は、1917年に現役を引退し、イングランド南西部にあるアボッツ・コート(Abbot's Court)に、居構えますが、その9年後の1926年、90歳という高齢で天寿を全うし、天国へと旅立ってゆきました。

絶対禁酒主義者であり、敬虔なバプテストの信仰者でもあったバーバリーでしたから、あるときには真面目過ぎるゆえに誤解を招いた人柄であったようですが、頑固ゆえに、自分の信じる道を歩み、研究し尽くした末に、長年持ちこたえる丈夫な材質を作り上げたのだろうと思います。

真面目で頑固、そして、何事にも中途半端を嫌い、自分が信じたものにこだわったから、それゆえに完成したトレンチコートだった。

それは物に対してだけではなく、自分の思いにこだわることをモットーとして生きたから…。だから、素晴らしい結果を招くことができたのではないのでしょうか。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。