デザイナーと戦国時代をつなぐもの「具足」(前編)



戦国武将たちが身に着けていた鎧兜を具足と呼ぶ。不足なく十分に備わっているという意味からそう呼ばれている。その具足のデザインにおける課題は、400年以上たった現代の工業デザインのものと大きくは変わりない。考えるべき課題はブランド/流行/コスト/機能/加工技術/素材などであり、工業デザイナーはいつの時代でも同じ種の産みの苦しみを感じていたのかと感慨深くなりつつも、今後もそれが永遠に続いていくと思うと少し気が遠くなる。ここでは戦国時代と現代の課題の共通点を紹介していく。前編では「ブランド」と「流行」について記載する。

【ブランド】
戦国時代では、各所で大小を問わず合戦が繰り広げられ、勢力図は流動的で昨日の敵が味方になり味方が敵になるのが日常茶飯事であった。そのため自らが何者なのかを内外に知らしめるため具足のデザインにアイデンティティは不可欠であり、現代でいうブランドもいくつか確立されていた。武田軍の飯富虎昌が率いる部隊はすべて赤い武具を装備しており、そのあまりの強さから「赤備え(あかぞなえ)=最強の部隊」というイメージが定着した。のちに旧武田領を統治した徳川家康は武田の旧臣たちを井伊直政に仕えさせ赤い武具を装備するよう命じ、最強の部隊を連想する「赤備え」のブランドを活用したといわれている。現代になぞらえるとパナソニックが三洋電機ブランドであった充電式ニッケル水素電池「eneloop」を継続しているようなものだろうか。

【流行】
豊臣秀吉は無類の派手好きであり、馬藺後立付兜(ばりんうしろだてつきかぶと)や色々威二枚胴具足(いろいろおどしにまいどうぐそく)、伊達政宗に与えた銀伊与札白糸威胴丸具足(ぎんいよざねしろいとおどしどうまるぐそく)など気品のある派手なものを所有していたが、その秀吉に認められようと家臣たちも派手なデザインを競うように求めていた。このように戦国時代の激動する時勢背景によって造形に求めるものは刻々と変化していた。現代でもダイソンのイメージを踏襲した掃除機やアップルのイメージを踏襲したスマートフォンなどインパクトあるデザインにリードされている分野は多くあり、その背景にあるものは技術力であったり先進性であったり環境意識であったりとそのときどき変化している。

(Betonacox Design)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。