クリムトとルイ・ヴィトン製品にも影響を与えたジャポニズム



美術ファンでなくても誰もが知る近代画家の巨匠グスタフ・クリムトは、彼独特の画風で世界の美術ファンを魅了し、日本でも多くのファンを持つ画家の一人です。

でも、彼の代表作“接吻”をすぐに脳裏に浮かべることができるファンであっても、彼がドガやマネ、ゴッホなどが傾倒したジャポニズムの影響を強く受けた画家であったことは、知らない人が多いかもしれません。

この写真の作品もジャポニズムの影響を色濃く受けたものとして知られるのですが、最初にジャポニズムが何であるのか…。本題に入るまえに簡単に説明したいと思います。

ジャポニズム(Japonism)とは19世紀中頃からフランスを発祥の地としてヨーロッパで始まった文化運動の流れで、日本心酔のことを指します。それもその場限りの一過性、あるいは流行性のものではなく、ヨーロッパを発信源にして当時の大多数の先進国で30年以上も続く持続性のある運動となり、美術界に於いてはイタリアで発生したルネサンス改革にも匹敵するほどの大きな変革をもたらした運動なのです。

その最初のきっかけを作ったのがパリの画壇でした。

事は19世紀中頃の万国博覧会へ出品した浮世絵や尾形光琳の作品などの日本の美術工芸品が注目されたことから始まります。

万博の会場に飾られた日本の美術品、ことに日本絵画(浮世絵)が、パリで活躍する印象派画家たちの目を釘付けにしたのです。もちろん、最初は今まで見たことのないオリエンタルなモチーフの物珍しさで近づいた彼らでしたが。

でも、彼らは自分たちが今まで信じてきた手法とは異なる“新しい遠近法”が作品に用いられていることに気づくのです。

その手法とは、作品の主役となる人物や建物が自分たちの作品のように中央に置かれず、中央から外れた場所に意識的に置く、という新しい構図の在りようだったのです。

しかも、いずれの作品もそれまで最高の手法だと言われていたバロック様式のように,顕著に見られる強いコントラストもさしてなく、ごく平面的な陰影と構図、そして、色彩で成り立っているのですから、それには誰もが目を見張りました。

しかも、さりげない手法を用いながら、そこには綿密に計算された構成がなされていましたし、コントラストの激しさを抑え、抽象的な色遣いから派生する色彩構成の素晴らしさに、誰もが驚き感動したのです。

それはパリの画壇に大きなショックを与えたばかりではなく、国内外の印象派やアール・ヌーヴォーの作家たちにも多大な影響を与えましたし、マネはじめゴッホはもちろんのこと、ボナール、ロートレック、ドガ、ルノワール、モネ、ゴーギャンなどなど、あげたら暇がないほど多くの人たちが影響されたのです。

そして、ジャポニズムとうたった新しい潮流は瞬く間に世界中に広まってゆき、家具や衣料、宝石に到るまで、30数年間もの長い間、芸術と文化の世界を牛耳ったのです。

あの世界的にその名を知られる高級ブランドのルイ・ヴィトンの製品に使われているダミエキャンバスやモノグラム・キャンバスという図柄も、当時日本の伝統的なデザインである市松模様や家紋から多大な影響を受けてデザインされたものとされているのです。

そして、この写真の作家クリムトも他の画家たち同様にその一人だったのです。

19世紀初頭、オーストリアの象徴主義・ウィーン分離派として活躍していたクリムトは、尾形光琳の作品に魅入られ、かなり長期間、彼の作品を研究したとも伝えられますし、この作品にもその影響が各所に見られます。

彼に関しては様々な逸話も含めてお話したいのですが、でも、今日はジャポニズムの説明で長くなりましたので、彼の作品を簡単に紹介して、続きは後日に致します。

作品は彼の晩年1905年に完成した『人生の三段階(人生の三世代)Die drei Lebensalter』です。(画像の作品はローマの国立近代美術館に展示されている一点です)

晩年を思わせる、老いた自分の寂しい心境を黒く塗りつぶした背景に託したクリムト…。

老いという逃れられない現実を見据えた彼の心情が図り知ることができ、涙を誘います。

ここにはムンクの“叫び”にも相似した悲哀に満ちた哀しみがあったから、だから作品を目の前にした誰もが辛くなるのです。

でも、彼が描く最後のシーンにめぐり会えたうれしさもここには在りました。どんな風に醜く老いてゆく自分を見つめていたのか。それを見せてくれたことで、クリムトの世界に僅かとはいえ一歩入ることができた。そんな気もして、うれしくもなるのです。

そして、人を愛することの荘厳さを遺しながら、自分に別れを告げる…。クリムトの終焉の舞台を見た…。そんな気がしてうれしかったのです…。

《追記》この老婆の姿は彫刻家であり、クリムトが尊敬するオーギュスト・ロダンの彫刻“昔は美しかった兜鍛冶の女(老いた娼婦)”から着想を得たとされています。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。