シチリア島の南東部、シラクーサ県の東部に位置し、東にイオニア海に面して広がるシラクーサの街は、カターニアから南南東へ約51㎞、本土から海底トンネルで直結するメッシーナからは南南西約127km、また、州都パレルモから南東へ約206kmの距離にあります。
沖合に浮かぶ小島オルティジア島(Ortigia)もシラクーサ市の一部とし、その風光明媚な景観は訪れし者たちを常に魅了します。
古代ギリシャ時代にはシチリア島内では最強の力を誇示し、大きな繁栄を遂げたシラクーサです。古代には時の権力者であり、ローマのネオ皇帝同様に非道な暴君として知られるディオニシオス(実在の人物です)が牛耳った街で知られますが、この街をもっとも有名にしているのは、中学校で習ったあの「液体の中にあるものは、それが押し退けただけの液体の重さだけ軽くなる」という“浮力の原理”を説いた自然哲学者のアルキメデス Archimedes の生まれ育った街だからです。
ローマ軍との戦い“第二次ポエニ戦争”では、自然哲学者でありながら、自分の街を守るために考案したアルキメデスの兵器が活躍するのですが、落城の際、ローマ軍は彼を捕虜にしたものの、優れた学者として既に有名人となっていたことで、攻城戦を指揮したローマの将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスはアルキメデスを殺さぬよう厳命していましたが、彼と気付かれずにローマ兵によって殺されてしまいます。
でも、日本人にとってこの街を強く印象付けているのはそれだけではありません。ここは未だかつて熱狂的なファンの多い、異色の作家太宰治の作品「走れメロス」の舞台になった街だからです。
作品には暴君ディオニシオスが主人公メロスの親友の王として登場しますが、作品の最後にはこう明記されています。
“「走れメロス」は「古伝説とシルレルの詩から」を引用し、ギリシア神話のエピソードとドイツの「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーの詩をもとに創作した”
《註》ちなみにこの作品を完成させたのは、自殺未遂4回後から3年目のことでした。比較的落ち着いた時期であったことで、執筆にも力入ったのでしょう。傑作として今なお注目される作品のひとつとなっています。そして、その8年後、1948年、6月13日の深夜、太宰治は机に連載中の「グッド・バイ」の草稿、妻に宛てた遺書、子供たちへのオモチャなどを残し、山崎富栄と身体を帯で結んで自宅近くの玉川上水に入水します。
古代から長い間、シチリア島の重要な街として生きてきたシラクーサには、遺跡はじめ中世の素晴らしい美術品を保存する教会など数え切れないほどの歴史的遺産が保存展示されていることで、四季を問わず世界中から多くの観光客が訪れます。そして、この街を訪れる多くの観光客は、海沿いに広がる旧市街に出るためにこの住宅地を抜けて行きます。
一般の住宅街とはいえ中世に建立された石造りの建造物が軒を連ね、古色に包まれた素敵な世界が広がっていますから、旅人の多くがここに留まり、ロマンあふれる情景の中で、一時、その足音に耳を澄まし、石畳の路地の風情ある佇まいに魅了されます。
その後、古代から続く素敵な今を実感した旅人は再び歩き始めます。太宰治の作品にめぐり会うために旧市街のホメロスの世界に足を運ぶのです・・・。
素敵なアプローチですね。シラクーサならではの素晴らしいイントロでもあります。
素敵です・・・。
《閑話休題》この街の守護聖人は、紀元後4世紀頃に古代ローマ軍の兵士によって迫害されて殉教したと伝えられる“サンタ・ルチア”です。そうなのです。あのナポリ民謡の“サンタルチア”の聖ルチアはこの街の出身だったのです。もちろん、民謡はナポリで誕生していますが。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)
※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。