敷地3万平方メートル、幅280メートル、高さ(時計塔)96メートルというこの壮大な建造物は、現在、英国議会が議事堂として使用しているウェストミンスター宮殿であり、併設されている時計塔ビッグ・ベン(正式名エリザベス・タワー)と共にロンドンを象徴する景観として世界中の人々に愛されています。
また、1987年、世界遺産に登録されたことで、なおいっそうその重要性を世間にアピールし、今やロンドンにはなくてはならない建造物として、こうして大河テムズ川を前に威風堂々として建っているのです。
ロンドンは紀元43年、ローマ人はテムズ川北岸、タワーブリッジのある辺り、ロンドンの東一帯に広がるシティ・オブ・ロンドン(シティ)にロンディニウム(“沼地の砦”を意味する交通の要所)を建設してこれをブリタニアの首都としました。それをロンドンの街の起源とし、街の名前の由来となっています。また、街を建設したのはローマ人とはいえ、周辺にはケルト人が以前から居住していたことで、61年には女王ブーディカ率いるケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した、と記録されています。
そして、11世紀半ば、ウェセックス最後の王となったエドワード懺悔王が財力にものを言わせ、シティに対抗するためにウェストミンスター地区にウェストミンスター寺院と王宮のウェストミンスター宮殿を相次いで建設し、1066年にはイングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム2世がウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として即位します。
それ以来、シティ・オブ・ロンドンに代わって、ウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターが政治と宗教の中心地として、活気ある日々を呈し、今に至ります。
宮殿は、創建当時のものは今なく、次代のウィリアム2世により11世紀末に建造されたものが宮殿における最古の部分として残されていますが、その折に改修工事を含めて新たに建造された建造物を王の住居“ウェストミンスター宮殿”とし、宮殿は中世後期まで王の住居兼国の政治を司る場として活躍しました。
また、隣接して建つウェストミンスター修道院は、200年後にヘンリー3世国王により豪華なゴシック様式に改修され、現在に至ります。
でも、その改修時、工事費用があまりにも莫大な金額になったことで、国王は貴族たちに重い税金を課して費用を賄おうとしますが、それがあまりにも高額な税金だったことで、貴族たちは修道院のチャプターハウスに集まり、国王に税金の軽減を求めるという事件が起こりました。
王に直談判をすること自体、前代未聞であり、王に対して非礼にもあたることでした。でも、王としても何とか税金で改修工事費用を捻出したく、前例がなかったのですが、話し合いに応じます。
このことが議会政治の原点《話し合いで問題を解決する》につながり、後に上院の誕生へとつながっていったのです。
でも、ヘンリー3世が再建を決め(1245年)、14世紀末に大方の工事を終えて完成した宮殿は、1529年、大火に見舞われます・・・。
それまでの長い間に二つの議会および裁判所として利用されていた宮殿でしたが、本来、国王の住居として建設した宮殿ですから、議会としての利用に適した部屋が存在しなかったこともあり、それを機に、1530年、当時の国王ヘンリー8世はヨーク宮殿を購入し、ホワイトホール宮殿と改名して、自身の住居を移します。
ウェストミンスター宮殿は王の住居としての役目からは解放されたものの、火災に遭ったままでしたから、その後、再度、改修工事をしたのですが、1834年10月16日、再び発生した火災により、ウェストミンスター・ホールおよびジュエル・タワー、聖ステファン教会の地下室、回廊のみを残し、宮殿の大半を焼失してしまうのです・・・。
二度の渡った火災でしたから、各所に傷みを生じ、改修工事には莫大な費用と時間を必要とすることが判明。
議会は腹をくくりました。そして、ウェストミンスター宮殿を再び議会として使用することも含めて、権威ある宮殿ということも重視して再建するための検討を始めるのです。ですから、協議する王立の委員会を設けたり、デザインの公募まではしないまでも、どのような様式で建設するかなど、議会で議論を終日交わします。
そして、火災から2年後、議会は100を数える再建案の中からチャールズ・バリーの設計したゴシック様式のデザインを採用することを決定し、1840年に礎石が据えられます。
既に1544年に上院を設け、1549年には下院を誕生させて二院制度をスタートさせていた英国議会。貴族院議事堂(上院)は1847年に、庶民院議事堂(下院)は1852年に完成させ、なお、建物の主要部分の大半を1860年に完成し、現在の姿となるのでした。
再建の着工から約20年間を経て完成したこの壮大で荘厳さも加わったウェストミンスター宮殿&国会議事堂はロンドンの象徴であり、英国が誇る建造物となりましたがそれだけではありません。
建て物としての誉れだけではなく、中で行われている議会運営は、世界の多くの国の議会経営の模範となりましたし、内閣制度も各国の政治の世界のお手本として注目され、発足当時から今なお“民主的な議会政治”の発祥の国として君臨しているのです。もちろん、日本もその中の一国です。
英国の英知に脱帽です。常に先を見越して生きる賢明さが素晴らしいのです。
素敵ですね・・・。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)