世界最初の中央銀行 Bank of England in London



ロンドンの下町、シティの一角に建つコリント式の円柱が印象的なこの建造物は、1694年、国策的な私有の株式発券銀行として開業、という古い歴史を持ち、後に世界最初の中央銀行として名を馳せたイングランド銀行 Bank of England です。

銀行はスコットランド人のウィリアム・パターソンが、当時大同盟戦争下にあったイングランド王国の軍事費を資金する目的で、1694年に創設しますが、イングランド王国は世界を相手にした貿易を目的にしていました。

また、その資金作りやヨーロッパで主導権を握るための戦いの費用を捻出してくれる銀行が必要になっていたこともあり、同年7月27日、ウィリアム・パターソンが開いた銀行はウィリアム3世とメアリー2世の勅令により、イングランド王国政府の銀行、つまり国営銀行として認可され、改めて国立の中央銀行としての開業となったのです。

それは世界でも初の銀行という誉れ高い設立でありましたが、それだけではなく、銀行設立以前、隣接して建つ1567年にトーマス・グレシャムによって創設された証券取引所の活用も思案され、銀行経営と同時に証券取引も本格的となり、同時に証券市場の成立など改革も進められました。

当初はシティ・オブ・ロンドンのスレッドニードル通りに建っていた銀行でしたが、1734年には写真の現在地に移転し、その後、銀行の繁栄と比例するかのように、次第に敷地を拡張してゆきます。

《閑話休題》バルト海貿易で富を築き、イングランド銀行総裁を務めたジョン・ソーントンは、息子ヘンリやサミュエルらとともに奴隷貿易廃止法案に尽力し、当時、奴隷貿易で莫大な利益を上げていた貴族議員たちと戦い、1807年、大英帝国内での奴隷禁止貿易の法律制定に成功。以来、英国では奴隷貿易が禁止されます。また、その頃は痛み止めにアヘンなどの依存性の高い薬物が使われていた英国です。国政を預かる貴族議員の中にも薬物に依存する人が数多くいたと伝えられます。

その後、19世紀半ばから第一次世界大戦が終わる頃まで、英国は「世界の銀行」と称し、強大になった資金力で世界各地に投資して利子を稼ぎます。

ちなみに、日清戦争と異なり、日露戦争は予想以上に軍事費が掛ったことで、資金調達に苦労した日本は、このイングランド銀行に資金調達を願い、一切の担保もなく借入に成功します。以来、日本を信じてくれた英国に感謝しファンになった日本でもありますね。

そして、人類史上最初の世界大戦と言われる第一次大戦が始まった年の1914年には、世界の海外投資の約半分を英国が占めるという数字を叩きだします。それは大戦の終わる1918年頃まで投資の繁栄が続き、その結果、イングランド銀行は多額の利益を出したからでした。

イングランド銀行は、現在は国有企業英国の中央銀行として今なお国策を支援し、金融体制の安定を維持するための「銀行の銀行」として君臨するのですが、それは日本の“日本銀行”はじめ他国も同様に“銀行の銀行”は多くの国に存在し、自国の経済の安定維持に貢献する重要な金融機関として在るのです。

周辺はシティ・オブ・ロンドン(City of London)と呼ばれるエリアで、ロンドン中心部をなし、現代のメトロポリス・ロンドンの起源となる地域ですが、その区画の範囲は、数百年の経過があっても中世以降ほとんど変わっていないのです。

そして、銀行周辺にはロンドン証券取引所はじめ、ロイズ本社などの保険会社も軒を連ね、19世紀から今日まで、世界屈指の金融センターとしてニューヨークのウォール街と共に世界経済を先導し、中世からの誉れと輝きある姿を見せ続けているのです。

また、ここシティはロンドン市でありながら、行政はシティ・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)独自で執り行っている、という特別自治体的な扱いをされているエリアです。

それは現在のロンドンという街は、街の発祥の地ここシティ・オブ・ロンドンと西側に広がるシティ・オブ・ウエストミンスターに31のロンドン特別区を加えたものを指しているのですが、ロンドンという街の主をシティとしているからです。

そして、その自治体の首班はシティの市庁舎に詰めるロンドン市長(Lord Mayor of the City of London)です。

ロンドン全体の市長を大ロンドン市長(Mayor of London)と呼び、ロンドン全体の市長とシティだけの市長を呼び名で区別していますが、ロンドンの市民にとってはシティの市長は、全体の市長よりもはるかに歴史と格式があるものという認識を持つのです。

任期を1年とするシティ・オブ・ロンドンの市長ロード・メイヤー(Lord Mayor)は、毎年9月29日のミカエル祭に選挙が行われ、選ばれた市長はシティの市庁舎ギルド・ホールにて職務につきます。

とは言っても、実際は名誉職。豪奢な衣装に身を包んで様々なイベントに出現し、観光客のカメラにポーズをとったりするが、ロード・メイヤーの主たる職務です。

また、周辺には法曹院のインナー・テンプルとミドル・テンプルがあることで、シティの西部、とくにテンプル地区とチャンスリーレーン地区では法曹界に関係する職場が多いのを特徴としています。

中世のままに息づくシティ周辺は情緒ある佇まいが広がりますが、以外にも観光客の訪れも少なく、散策には格好のエリアです。

もし、ロンドンを訪れることがあったら、午後4時の大聖堂の鐘の音を聴きながら、シティに歩を向けてみませんか?

ここには中世から引き継がれた誉れ高い真のロンドンの姿があります。

そして、シェイクスピアも魅入られたヘンリー王家の足跡も垣間見ることができるのです・・・。

ロンドンにはこのように古き時代を彷彿とさせ、今という時間を美しく彩る素敵な“時間”が点在しています・・・。素敵です・・・。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)