南イタリアの港町バーリには様々な歴史的遺産が点在していますが、ここは12世紀に創建されたサン・ニコラ教会 Chiesa di San Nicol です。
堂内には創建当時のままに残されているいくつかの貴重な美術品のほかに、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスの墓所など保存されていますが、これは堂内右手の後陣奥に飾られている三連の「祭壇画」です。
14世紀頃の作品とされる三連画の中央には聖母子や判明できないほど朽ちていますが、向かって右側には聖ヨハネが描かれ、神の思し召しなのでしょうか、はっきりと見ることができる一番左側に描かれている人物が、サンタクロースのモデルと伝えられる聖ニコラウスの肖像画なのです。
素敵に残っていますね。そして、慈悲深い表情に加えて、なんというイケメンなのでしょうか、背が高く胸厚で・・・。うれしくなるほど素敵な聖人ニコラウスです。
ニコラウスは4世紀にトルコに近い地中海に面したパタラに生まれ、ローマ帝国リュキア属州のミュラという地で司教を務めた賢人でした。温厚で慈愛の深い司教は多くの人たちに愛され、勤勉なニコラオスでしたから、大主教となった後も常に様々なことを学びながら、真摯に神に仕えました。その結果、神からの特別な恩寵により多くの奇蹟を行い、多くの人を救済したとと伝えられます。
聖ニコラオスは老いた後、安らかに永眠し、その遺体はミラの聖堂に葬られますが、、11世紀後半、東ローマ帝国領であったミュラはセルジューク朝の侵略行為に遭い、町は混乱状態となっていたそのさ中、どさくさに紛れてバーリから来ていた船乗りたちにより、聖堂から不朽体を持ち去られてしまうのです。そして、1087年5月9日、このサン・ニコラ教会に安置されたことにより、ここを巡礼地と定めたのです。
聖人がサンタクロースのモデルとされる理由はいくつかありますが、
一つはニコラウスの誕生日がクリスマス月の12月6日であること。
二つ目は子供たちに食べ物をプレゼントして飢餓から救ったこと(数え切れないほど何度もです)。
三つ目はお金がないためにお嫁に行けない娘たちに常に施しをしていることなどです。
そして、いつしか白髭を蓄え、手に杖を持った晩年の慈悲深い聖人の姿が描かれるようになると、それが年に一度、子供たちにプレゼントを分け与えるサンタクロースの姿に重なっていったようです。
ニコラウスという人は実在の人物ですから、この伝説を信じられる人にはサンタクロースも実在の人物になり得る可能性がありますね。
どちらにしても素敵です♪♪
《註》なお、聖人とはローマ法王庁で決される元法皇の逝去後に決められる名誉ある肩書きなのですが、聖人の称号を与えられるのは、生前、如何に良しとした事を多く成したか、或いは我が身を呈してまで人民に多くの福を与えたか、如何に多くの民を救ったか、など多くの条件に見合った法皇にしか与えられない称号なのです。ちなみに現ローマ法皇のひとつ前のヨハネ・パウロ2世(ローマ教皇)は、生前でありながら、宗教の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与えたものとして聖人の前の位である「福者」という素晴らしい称号を与えられました。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)