ノートルダム大聖堂のルーベンスの傑作 Onze-Lieve-Vrouw Kathedraal in Antwerpen




アントワープの旧市街に聳え建つ壮大なノートルダム大聖堂内には、美術館では観ることができないルーベンスの最高傑作「キリスト降架」「キリスト磔刑図」「聖母被昇天」「キリスト復活」の祭壇画の4点が飾られています。

その作品群は堂内の歴史ある備品に負けじと光り輝き、17世紀初期から観る者を圧倒し続けているのです。

写真はイタリア留学から帰国して間もない2年後の1610年から1611年に掛けて描いた作品「キリスト昇架」(Raising of the Cross)です。

バロック期のフランドルの画家、外交官で知られるピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens・1577年6月28日~1640年5月30日)は、1577年、プロテスタントのカルヴァン主義者の法律家であるヤン・ルーベンスとマリアとの間にドイツで生まれましたが、生まれは良く、金銭には恵まれてはいたものの、父親のヤンは妻のある身でいながら、オランダ総督オラニエ公ウィレム1世の二度目の妃アンナの法律顧問として働く内、大胆にも妃と愛し合う仲となるのですが、それが発覚。王の怒りをかって投獄されていたこともあるという、家庭人には向かない親だったことで、家庭内は常に荒れ模様だったと伝えられます。

1587年、父親の死後、ルーベンス一家は両親の故郷であるこのアントワープに居を移し、ルーベンスは人文主義教育を受け、ラテン語と古典文学を学びます。

カトリック教徒として多感な頃を過ごした彼は、将来、宗教の世界に身を置くことも考えたようですが、1530年、13歳になったばかりの頃、芸術を愛する貴族の家に丁稚奉公に出されたのが縁で、いつしか時間を作っては絵筆を握るルーベンスがいたのです。

元よりその才能があったのでしょう、眠っていた画才が磨かれるように、時の経過と共に画家としての素質を見せ始めるのです。

その後、奉公先の家族の勧めもあってアントワープの画家組合、聖ルカ・ギルドへの入会を認められ、様々な画家たちの師事を受け、本格的な画家としての道を歩み始めます。

そして、1600年、23歳という若さでしたが、当時は誰も憧れたバロックの発祥の地イタリアへと出向き、夢の国での絵画留学を果たすのです。

イタリアではラテン語も習得し、語学が堪能で貴族的な気品を漂わせる画家として優遇されたルーベンスでした。その評判から後に北イタリアで権力を握っていたマントヴァ公の宮廷画家となり、着々とその地位と名誉を築き上げたのです。

そして、イタリアに渡ってから8年後の1608年に帰国し、アントワープに戻るのですが、翌年の1609年、出国する前から12年間にも渡ってカトリックとプロテスタントの戦いの相手だった隣国オランダとの間に休戦協定が結ばれ、街には平和が戻る、という素晴らしい出来事に遭遇するのです。

そうなのです。12年間も続いた宗教戦争が終わり、待ち望んでいた平和が戻ったのです。

市民には気持ちに余裕ができました。また、フランドルでは戦時中ご法度でもあった宗教絵画の展示も許され、教会にも気持ちに余裕が生まれ、絵画制作の需要が急増するのです。

彼の帰国を待っていたかのようなよもやの停戦です。イタリアでバロックの第一人者としての名声を得て帰ってきたルーベンスに注文が殺到したことは言うまでもありません。

イタリアから帰国して2年後の作品であるこの「キリスト昇架」は、重厚な表現を得意とする伝統的なフランドル芸術と動きのある、また、絢爛たる表現を特徴とするイタリア美術の粋を合体して描かれた作品として注目され、高い評価を得ましたが、それ以上に彼がイタリアから故郷に復帰した記念すべき作品として話題になり、街に開いたルーベンスの工房には若きファン・ダイクはじめ多くの共同制作の希望者が集まり、また、巨匠としての評判を聞きつけ、ヨーロッパ中から大量の注文が殺到するようになるのです。

そして、この作品を手がけた1610年に18歳の貴族の娘イサベラ・ブラントと結婚をします。ルーベンスは32歳でした。

結婚して幸せな時間に歓びを思い感謝したのでしょう、多忙の中、同じ年に彼は「画家とその妻、イサベラ・ブラント」という自画像も描き、幸せな新婚時代を送るのですが…。

でも、それは長くは続かず、パリのマリー・ド・メディシス王妃から注文された大作に取り掛かったことで、新妻と過ごす時間を失いはじめ、留守を守るイサベラはその寂しさに耐えられず、傷心の日々を送ったと伝えられます・・・。

《註》ルーベンスの画業における最大の大作と言われる『マリー・ド・メディシスの生涯』は、名門メディチ家出身でフランス王アンリ4世の2番目の妻マリー・ド・メディシスの生涯を、当時建設中であった新居リュクサンブール宮殿を飾るために制作を依頼されたもので、24枚からなる大作となって話題を呼びました。作品は現在はルーヴル美術館に保存されています。制作期間は1621年から4年を費やして完成したもので、ルーベンスは妻のイサベラが亡くなる年までこの作品に取り組んでいたのです。

この「キリスト昇架」は30代という若さの中で、そして、制作意欲の燃える中で描いた作品として、また、ネロが見たかった絵のひとつであったこと、そして、あの天才画家であるゴッホにしてもこの絵との出会いがいかに重要なことであったのか、文献などで知ることもできます。

作品はルーベンスを語るには欠かせない一作です。「フランダースの犬」という名作にとっても欠かせない重要な作品なのです。

また、ルーベンスにとっては故郷に戻った記念すべき作品のひとつなのです・・・。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)