パリの中心地に広がるヴァンドーム広場。広場にはスノッブな雰囲気が漂い、凛とした佇まいの中に在ります。
そして、広場には超高級ホテルリッツと共に、広場を囲むようにして高級ブランド・ショップが軒を連ねていますが、皆さま、その中の高級宝飾店の5店舗をグランサンク(Les Grand Cinq=5大宝飾店)と呼び、昔からパリを代表する宝飾店として世界にその名を馳せていることとその宝飾店の5店舗の名前をご存知ですか?
まずは広場の一角に店を構える写真の1780年創業のショーメ CHAUMET がその一つに数えられます。
そして、二つ目は日本では江戸時代の初期の頃、フランスではマリー・ド・メディシス王妃の時代を迎えていましたが、その頃に商売の特権を与えられ、1613年に創業したメレリオ・ディ・メレー。
三つ目はアール・デコの時代に多くの優れた作品を生んだことでその名を世界に馳せた1827年創業のモーブッサン。
四つ目はスネークやアールヌーボー様式の典型的なモチーフを使って注目を浴びた1858年創業のブシュロン。
最後の五つ目は古くから王侯貴族に愛されるハイジュエリーブランドであり、モナコ王室御用達ブランドで知られる1906年創業のヴァン・クリーフ&アーペル。
この5社を指して、グランサンクと呼ぶのです。
そして、その中でもっとも光り輝く歴史を誇るのがこのショーメなのです。
ショーメは1780年、王妃マリー・アントワネットの宝石商であったオベールのもとで修業を終えたマリ・エティエンヌ・ニトが自分の店を構えたのを創業時としていますが、ニトは世界のショーメになるまでには様々な出来事に遭遇します。
そのひとつに数えられるのがナポレオンとの出会いでした。
ニトが宝石店を開業したばかりの頃、店の前を通りかかった馬車馬が突然暴れだました。それを目撃したニトはまずは暴れ馬をなだめようと、怪我も恐れずに必死に手綱をとり馬を押さえ、馬車の暴走を阻止したのです。
そのおかげで難を逃れ、広場の片隅に停まった馬車。その中からニトにお礼を言うために馬車から下りてきた人は、何と皇帝ナポレオンだったのです。
そして、心鎮めるために休息をと、ニトが店の中に案内すると、ナポレオンは店内に並べられていた宝飾品に目が釘付けとなります。もちろん、素晴らしいデザインだったからです。
それが縁となってノートルダム寺院で行われた戴冠式で使用する皇后ジョゼフィーヌのためのティアラはじめ、次々と宝飾品を注文するようになったのです。
そして、1802年、ショーメは正式にナポレオン御用達のジュエラーとなり、王室御用達の宝飾ブランドとなるのです。
1802年を皮切りにジョゼフィーヌなどのフランス王室のティアラを造るようになったショーメは、気を緩ませずたゆまない努力をすることで、その技術は高く評価され、半世紀後の1848年、念願のロンドン支店を開くとすぐ、その評判を聞いていたヴィクトリア女王からの指名を受け、名誉ある英国王室御用達ジュエラーにもなるのです。それを発端にして、ヨーローッパ全土の王侯貴族に愛されるようになってゆくのです。
そして、1907年、パリのこのヴァンドーム広場12番地に店を構え、店名もショーメとし、現在に至ります。
ショーメの入るこの建物の上階は、高級アパルトマンになっていますが、中庭に面したプレミエ中二階の部屋は、1849年、ポーランドの作曲家ショパンが引っ越し、39歳の生涯を終えた終の住処で知られます。
ショーメの入り口の上方に『1810年2月22日、ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれたフレデリック・ショパンは1849年10月17日、この家で死す』と書かれたプレートが嵌め込まれています。
また、1880年代にはナポレオン3世の愛妾だったカスティリオーネ伯爵夫人が26番地に自宅を取得しています。
広場は上記のような高級宝飾店が軒を連ねる一方、中世から今に至るまでパリの上流社会の人々が集う場所でも知られ、故ダイアナ元妃も一時をこの広場に面したオテルリッツで過ごし、そして、その数十分後、帰らぬ人となりました。
広場はこうして今も昔も多くの文人や著名人たちが愛することにより、常にパリっ子の注目の広場でもあったのです。
夕刻には広場に面して建つリッツホテルから出て来る社交界の紳士淑女の姿も見られますが、その情景ははヴァンドーム広場ならではものであり、それに合わせたかのように、夕刻の陽が照らし出す広場は、昼とは異なり、ノスタルジーを漂わせた気品ある佇まいを見せるのです。
華やかに、そして、素敵な佇まいを見せるそれは、このヴァンドーム広場が、貴族たちが望んだ社交界のための広場だからかもしれません。
晩秋の夕刻、散策して下さい・・・。
その頃にしか見せない広場の憂いある情景を見ることができますから。
そして、この広場を完成させた建築家ド・コットが愛した18世紀初頭の画家アントワーヌ・ヴァトーの世界にも相似し、遠慮的で憂鬱的な表現を演出した広場を垣間見ることができますから・・・。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)