2013/09/17

ナポレオンの偉業・皇帝が設立したフランス銀行 Banque de France


ルーヴル美術館に隣接するパレ・ロワイヤルの東側一帯には建立時のままに建つ証券取引所など、16世紀から17世紀に掛けて作られた建造物や歴史的遺産が点在し、趣きあるエリアが広がっていますが、この写真のヴィクトワール広場 Place des Victoiresはその中心的な存在で、広場を取り巻くようにして、中世末期に建造された歴史的な建物が軒を連ねています。

広場中央には、あのヴェルサイユ宮殿を建設したルイ14世の騎馬像が飾られていますが、像は1685年、ルイ14世の寵愛を受けようと企んだ側近が、王のご機嫌をとるために彫刻師に造らせたものでした。

もちろん、その企みは成功し、ルイ14世が像を気に入ったことで、翌年、像を飾るためにこの円形の広場が新設されたのです。

また、騎馬像の後方に建つ半円形の建物は、1686年の広場の像の除幕式に間に合うように名工マンサールが連日徹夜して完成させたものですが、さすが名工です。随所に彼らしい緻密な計算がなされたデコレーションが嵌め込まれ、完成時にはその秀麗さに注目が集まりました。

広場のすぐ北側には、1629年に着工し、1740年に完成という90年もの時を掛けて建立したノートル・ダム・デ・ヴィクトワール教会が建ち、南側には壮大な建物フランスの中央銀行Banque de Franceが建っています。

銀行はユーロ導入前は,日本銀行と同様に、独自通貨フランス・フランを発行していたフランスの中央銀行でしたが、その歴史は古く、建物の創建は1635年、広場を建設した名工マンサールの手によりルイ14世の子供のために完成したものでした。

そして、建立後からその100年後の1716年、経済学者であるジョン・ローが個人的な資産で建物を買い取り、銀行Banque Généraleを設立します。でも、スコットランド人でありながら、フランスの経済に詳しい彼の貨幣理論に注目していたフランス政府は、1718年に銀行を買い取り、ジョンの寄与の元でフランス王立銀行(Banque Royale)を設立します。

そして、その約100年後、ここにナポレオンの夢が託されてゆくのです。

それまで自国を大きくするためにヨーロッパ各国と多くの戦いを経たナポレオンでしたが、同時に自国の経済発展を目指していた彼は、まずはフランス内の貨幣統一を目指し、1800年、フランス王立銀行をフランス銀行Banque de Franceとし、それを機に1803年にここを発券銀行としたのです。

この頃は彼の絶頂期でした。1804年に妻ジョゼフィーヌと共に戴冠式を終え、皇帝として新たな一歩を踏み出していましたから、意気揚々とした日々を送る一方、事を運ぶその迅速さは誰もが目を見張るほど速く、1806年には“自国の経済発展”いう夢を果たすべく、銀行総裁、副総裁を政府任命制に制定するという偉業を成すのです。

1998年6月1日には欧州中央銀行がユーロ圏の単一金融政策を運営するために設立され、欧州中央銀行と欧州連合(EU)に加盟するすべて国の中央銀行は欧州中央銀行制度が適用されたことで、ナポレオンの偉業は実質上なくなりますが、でも、この広場南側にはナポレオンが設立したフランスの中央銀行として、今なお凛として建つ姿を見ることができるのです。

“余の40回の戦勝よりもナポレオン法典の方が価値があるものだ”という有名な言葉を残したナポレオンですが、その才能は軍事的なものの他、美術への優れた審美眼はじめ、多様な世界で花開かせました。

そのひとつが統一貨幣を発行するために設立した中央銀行でしたし、若い頃から数学に強かった彼ですから、経済の世界にもそれなりの思いと野望がありました。そして、それら一つ一つ叶え、フランスの経済発展に大きく寄与したのです。

それらのすべては、ひとつにはフランスに向けた愛国心ゆえからだと思います。愛国心が人一倍強くあったから・・・。フランスのために戦い続け、フランスのために通貨を統一し、優れた美術品を集めた・・・。

ふたつには貧しかった幼い頃の生活の中で馬鹿にされたことへのリベンジでしょうか、頂点に立って名誉を手中にしたい。誇りを持てる生活をしたい。自分の人生を振り返ったその時、自ら誉められる世界に生きたい。

その思いから、彼は懸命に学びました。人より何倍も勉強をし、努力をしたのです。

そして、頂点に立ったその時“余の辞書に不可能の文字はない”と明言したのです。それは彼は不可能なことを可能にするほど、学び努力し懸命に生きたからでした。

また、皇帝となったその後のしばらくは戦いに勝ち続けました。ヨーロッパの大半(英国を除いて)を手中にするほど、勝ち続けたのです。

そして、勝ち続けた間は、誰からも崇められ、拍手喝さいを浴びましたが、世の中は非情でした。現金なものでした。

ワーテルローの戦いで戦略を失敗した途端、英雄という名も皇帝という肩書も外され、島流しという哀しい結末を用意していたのです。

そして、島流しされたセントヘレナ島から生きて帰ることはなく、僅か52歳で生涯を終えるのですが、皇帝という最高位に就いてから国のために働き、自分のプライドのために戦い、リベンジのために命を賭けて生きたのは10年間・・・。

彼にとってその10年間は長かったのか、あるいは短かったのか・・・。知りたいと思います・・・。

広場周辺は下町として、また、中世末期の面影が色濃く残るエリアとして、パリの人々だけではなく、パリを二度三度訪れるリピーターたちの人気スポットとしても知られ、風情ある佇まいを見せています。

夕刻にはパリらしい甘い香りに染まった風が、周辺を包み込むようにして吹き渡ってもいます。

それはナポレオンの偉業を敬うようにして吹き渡っているようにも見えます。素敵です・・・。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...